『成唯識論』第二偈の文字お越し
識所変の相は、無量の種なりと雖も、而も能変の識の類別なることは、唯だ三のみなり。一には、謂く異熟、即ち第八識なり。多く異熟性なるが故に。二には、謂く思量、即ち第七識なり。恒に審に思量するが故に。三には、謂く了境、即ち前六識なり。境相の麤を了するが故に。及という言は、六を合して一種と為すことを顕す。
論じて曰く、初能変の識を大・小乗教に阿頼耶と名ずく。此の識には具に能蔵と所蔵と執蔵との義有るが故に。謂く雑染の与に互いに縁と為るが故に。有情に執せられ自の内我と為らるるが故に、此は即ち、初能変の識に、所有る自相を顕示す。因と果とを摂持して、自相と為すが故に。此の識の自相は分位多なりと雖も、蔵というは、初なり過重く、是の故に偏えに説けり。此は是れ、能く諸の界と趣と生とを引く善・不善の業の異熟果なるが故に、説いて異熟と名ずく。此に離れて、命根と衆同分等を恒時に相続して勝れたる異熟果なりということは、得可からざるが故に、此は即ち、初能変の識に所有る果相を顕示す。此の識の果相は多くの位、多くの種ありと雖も、異熟というは、寛く不共なり。故に偏えに之を説けり。此は能く、諸法の種子を執持して、失せざらしむるが故に、一切種と名づく。此に離れて、余の法、能く遍く諸法の種子を執持すること、得可からざるが故に、此は即ち、初能変の識に所有る因相を顕示す。この識の因相は、多種有りと雖も、種を持することは不共なり。是の故に偏えに説けり。初能変の識体の相は多なりと雖も、略して唯だ是の如き三相のみ有りと説く。
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