ですから仏教では、そういった人間の勝手な解釈を一旦リセットする為に「空」が説かれます。
「空の理論」の事を空理と言いますが、人間の客観を0リセットする事を析空と言い、主観を0リセットすることを体空と言います。この析空と体空の理論を覚る事で人は自身の主観と客観を機能停止させ脳内思考を空っぽにする事が出来ます。
人には必ず「先入観」という作用が働きます。
例えば暗闇でロープが道端に転がっていたとします。それを見て「蛇だ!」と勘違いして驚いたりします。これは「蛇は細長い生き物」という概念が既に脳内にあって、その概念が先行して働くことでロープであるにも関わらずそれを蛇だと誤認してしまう訳です。
人のこういった一連の動作の裏では五蘊という作用が働いております。
「色・受・想・行・識」という五つの働きが順に作用していく事で人の主観と客観が起こります。まず客観で対象を認識し主観でそれが何かを判別し、それに対してどう行動を起こすかといった一連の作用が識として記憶に蓄えられていきます。
その識の事を唯識では業(業識)と言いまして、この業が阿頼耶識という蔵に蓄えられていきます。
通報 ...