人の認識は、主観と客観とからなりますが、唯識ではその主観を見分と言い、客観を相分と言います。
この見分と相分とによって「実体」が立ち上がります。
「実体」とは、そのものの本当の姿。実質。正体のことで、認識の対象がもつ性質、状態、作用、関係などの根底に横たわってこれを根拠づけながら、同一性を保って自存するものを人間が言語によって定義づけした〝概念〟になります。
我々人間はこの「概念」で様々なモノを捉えております。
しかし、この人間が言葉で定義づけした概念によるところの「実体」は、そのモノの真実の姿を捉えた内容ではありません。
この概念は人間が勝手に考えて対象のモノにあてはめた言わば人間視点による勝手な人間解釈に過ぎず、対象のモノの本当の姿はそのモノがそのモノとなり得た因果で観ないと本当の姿は見えてはきません。
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