三転法輪の第二時で『般若心経』を理解出来た縁覚はどうかと言いますと、
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「色即是空だから無我だけど、空即是色も大事じゃね?」
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と考えるわけです。考えることを漢語では「静慮」と言います。静慮とは「心を静かにして考えること」でして〝禅定〟のことを漢訳では静慮とも言います。
考えるという行為は、六根・六境・六識で言うとどれにあてはまるかと言いますと、六識にあたります。
目という眼根でリンゴという色境を捉え、それを「あ! リンゴだ!」と認識します。この認識が眼識になります。ただ認識するまでにいくつかの工程が存在します。
例えばリンゴという存在をまだ知らない2歳児の子供が眼根でリンゴを捉えたとしましょう。それが何か未だ知り得ない子供はそれを手に取って確かめます。
色(姿形あるモノ)であるリンゴがあって、それを眼根が捉える(受)ことで、「何だろう?」と思って(想)手に取ってみる(行)。
その時(想)の段階で「食べられるモノなのかな?」と思えばかぶりつきます(行)。かじってみて「おいしい!」と思えばそれが記憶として経験値に加わって「これはおいしいモノ」として脳に記憶されます。(識)
この一連の「色・受・想・行・識」といった人が物事を認識する工程を仏教では「五蘊」といいます。
こちらのサイトで図解で大変解りやすく解説なされておられますのでご覧ください。
・・・なんだそうだ、般若心経
https://www.mitsuzoin.com/nanda_hannya03.html
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