『唯識』は表層識である前五識と第六意識、そして深層識の第七末那識と第八阿頼耶識からなる八つの識層を説いた法門ですが、このうち第六意識までは初期仏典である『阿含経典』の中で六根や六境、六識、そして五蘊として詳しく解き明かされております。
まずはその表層の意識層のお話からはじめてまいります。
人がモノをモノとして認識する働きは、対象となるモノとそれを認識する主体とがあって成り立ちます。
〝見る側〟と〝見られる側〟の関係です。
見る側を、眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の六根と言い、見られる側を色境・声境・香境・味境・触境・法境の六境と言います。
<六根と六境>
眼根 → 色境(姿・形)
耳根 → 声境(音)
鼻根 → 香境(匂い)
舌根 → 味境(味)
身根 → 触境(感触)
意根 → 法境(思考)
こちらのサイトで六識の説明もふまえて大変解りやすく解説せれてますのでご覧ください。
『禅の視点 - life -』
https://www.zen-essay.com/entry/rokkon-rokkyou-rokusiki
この見る側と見られる側の関係は、「対象のあり様」と「認識のあり方」として仏教では因果と縁起で解き明かされております。
例えば目の前に一つのリンゴがあったとしましょう。
リンゴはまず種が大地に植えられ、目が出て幹が伸び枝が伸びて実が成ってリンゴとなりました。そこに至るまでには様々な要因が縁として和合し最終的に美味しそうなリンゴが収穫されて今、目の前に存在しています。この時間の流れの中でリンゴがリンゴとして形成されていった経緯を「此縁性縁起」と言います。
因縁和合によってそのモノがそのモノとなり得た過程を因果と縁起で捉えた因縁生起という仏教的なモノの見方です。全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立していて、独立してそれ自体が存在しているのではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを説いた法理・法門です。
これは見られる側の因果と縁起で、「対象の有り様」を此縁性縁起として解き明かした縁起の法門です。