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最近のzawazawa / 225

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シーツ 2018/03/18 (日) 21:37:06

ここちゃんと読んでから出直してくれ(⌒-⌒; )

人々の多くは、相手の短所を指摘しない。
 人々の多くは、相手に楽観させるよりも悲観させる材料を指摘することを、ためらう。
 それらは時として、相手の心に苦しみを与えないためである。
 しかしほとんどの場合には、下手に反感をかって自分が損をすることを避けるためである。
 しばしば、相手の短所を指摘してやることが、本当の優しさである。
 しばしば、相手の見通しの甘さを指摘してやることが、本当の優しさである。
 しかしそのような行動は多く、深い反感と残酷な攻撃によって報いられる。
 すなわち、他者に手を差し伸べてはならないということが、重要な処世術である。
 相手を助けることは、相手の理解に沿ってのみ、可能なのだと言える。
 相手の理解を正そうとすることは、不毛である。
 精神の鎧に触れようとした者は、その棘によって血を流すことになる。
 人間は各々の自己欺瞞の鎧にこもって生きる生き物なのであり、自己欺瞞を互いに侵害しない形で社会を組み立ててきたのだ。

 しかし常に、当然に正当とされる処世術の中に、不合理と邪悪の核心は隠されている。
 処世術によって礼儀は堕落し、内面の礼儀は虚ろに、外面の礼儀が体系化される。
 お世辞、お為ごかし、綺麗事、当たり障りのない議論で、世間は溢れる。
 本当に不都合な事実は、いつの時代も、言論から省かれる。
 上っ面のコミュニケーションがはびこる。
 上っ面の関係は、常に裏切りの可能性を含んでいるから、人々の間の信頼関係は低下する。
 人々が利己的になり、幸福の社会的な生産性が損なわれる。

 誰もが常に完全ではあれない。
 絶対に失敗をしない人は存在せず、失敗は必ず、確率的には起こる。
 ゆえに、互いに補完することは、エラーを予防するために大切である。
 しかし、無闇に手助けをすれば、得をすることは少なく、損をすることが多い。
 他人であるのに、服装の乱れを指摘してくれる人は、心優しい。
 善良な人は、失敗を指摘し、しかし知った弱味を他言しない。
 多くの人が、失敗を指摘せずして、しかし他言して嘲る。

 出世術の原則は、昇格される人と共に昇格されるようにして、降格される人と共には降格されないようにすることだ。
 すなわち、勝利する派閥に帰属して、敗北する派閥に帰属しないことだ。
 すなわち、長いものには巻かれる、日和見主義だ。
 強い者との縁を結び、弱い者とは縁を切ることが合理的である。
 ゆえに、他者の短所を指摘してやる義理はない。
 しかし、器の小さい人ほど、頻繁に手のひらを返す。器の大きい人ほど、稀に手のひらを返す。
 器の大きい人ほど、派閥を超越している。
 ゆえに、小さな人の言う愛情は、大きな人から見れば、愛情と呼ぶに値しない。

 愚かな人にとっては、相手の短所を指摘しないことは、当然の処世術である。
 賢い人にとっては、その処世術は、社会的な全体最適に対する部分最適からの妥協である。
 愚かな人にとっては、人々のあり方は、普遍的なものである。
 賢い人にとっては、人々のあり方は、時代の条件によって与えられた局所的なものである。
 愚かな人は、短所を指摘されることを、陰で笑えばよいものを公然と行う侮辱である、と受け止めやすい。
 賢い人は、短所を指摘されることを、リスクを踏まえた社会への投資である、と受け止めやすい。
 ゆえに、愚かな人は、自らへの批判を平然と拒絶する。
 一方で、賢い人は、自らへの批判に、常に一抹の真理を考える。

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