ここちゃんと読んでから出直してくれ(⌒-⌒; )
人々の多くは、相手の短所を指摘しない。
人々の多くは、相手に楽観させるよりも悲観させる材料を指摘することを、ためらう。
それらは時として、相手の心に苦しみを与えないためである。
しかしほとんどの場合には、下手に反感をかって自分が損をすることを避けるためである。
しばしば、相手の短所を指摘してやることが、本当の優しさである。
しばしば、相手の見通しの甘さを指摘してやることが、本当の優しさである。
しかしそのような行動は多く、深い反感と残酷な攻撃によって報いられる。
すなわち、他者に手を差し伸べてはならないということが、重要な処世術である。
相手を助けることは、相手の理解に沿ってのみ、可能なのだと言える。
相手の理解を正そうとすることは、不毛である。
精神の鎧に触れようとした者は、その棘によって血を流すことになる。
人間は各々の自己欺瞞の鎧にこもって生きる生き物なのであり、自己欺瞞を互いに侵害しない形で社会を組み立ててきたのだ。
しかし常に、当然に正当とされる処世術の中に、不合理と邪悪の核心は隠されている。
処世術によって礼儀は堕落し、内面の礼儀は虚ろに、外面の礼儀が体系化される。
お世辞、お為ごかし、綺麗事、当たり障りのない議論で、世間は溢れる。
本当に不都合な事実は、いつの時代も、言論から省かれる。
上っ面のコミュニケーションがはびこる。
上っ面の関係は、常に裏切りの可能性を含んでいるから、人々の間の信頼関係は低下する。
人々が利己的になり、幸福の社会的な生産性が損なわれる。
誰もが常に完全ではあれない。
絶対に失敗をしない人は存在せず、失敗は必ず、確率的には起こる。
ゆえに、互いに補完することは、エラーを予防するために大切である。
しかし、無闇に手助けをすれば、得をすることは少なく、損をすることが多い。
他人であるのに、服装の乱れを指摘してくれる人は、心優しい。
善良な人は、失敗を指摘し、しかし知った弱味を他言しない。
多くの人が、失敗を指摘せずして、しかし他言して嘲る。
出世術の原則は、昇格される人と共に昇格されるようにして、降格される人と共には降格されないようにすることだ。
すなわち、勝利する派閥に帰属して、敗北する派閥に帰属しないことだ。
すなわち、長いものには巻かれる、日和見主義だ。
強い者との縁を結び、弱い者とは縁を切ることが合理的である。
ゆえに、他者の短所を指摘してやる義理はない。
しかし、器の小さい人ほど、頻繁に手のひらを返す。器の大きい人ほど、稀に手のひらを返す。
器の大きい人ほど、派閥を超越している。
ゆえに、小さな人の言う愛情は、大きな人から見れば、愛情と呼ぶに値しない。
愚かな人にとっては、相手の短所を指摘しないことは、当然の処世術である。
賢い人にとっては、その処世術は、社会的な全体最適に対する部分最適からの妥協である。
愚かな人にとっては、人々のあり方は、普遍的なものである。
賢い人にとっては、人々のあり方は、時代の条件によって与えられた局所的なものである。
愚かな人は、短所を指摘されることを、陰で笑えばよいものを公然と行う侮辱である、と受け止めやすい。
賢い人は、短所を指摘されることを、リスクを踏まえた社会への投資である、と受け止めやすい。
ゆえに、愚かな人は、自らへの批判を平然と拒絶する。
一方で、賢い人は、自らへの批判に、常に一抹の真理を考える。