絶滅は有史時代に入ってからのことではあるが、このライオンの亜種について後世に伝えられていることは少ない。
まず、古代ギリシアのアリストテレスやヘロドトスが著したところによれば、本種と思われるライオンはバルカン半島で紀元前1000年ごろ(cf.)に発見されたという。また、ペルシア王クセルクセス1世はマケドニアを進軍しているさなかの紀元前480年(cf.)に数頭のライオンと遭遇したとしている[4][5]。イタリアにおいては本種は紀元前20年より前に絶滅したらしく、西ヨーロッパ南部および南ヨーロッパ西部でも紀元1世紀の間には絶滅したと思われる[6]。そうして紀元70年ごろにもなると、ヨーロッパライオンの生息域は、ギリシア北部のハリアクモン川とメスタ川に挟まれた地域に限られ、最終的には100年ごろに絶滅したと考えられる[6]。
その後、ヨーロッパ大陸におけるライオンは、アジアライオンの系統が10世紀までコーカサス地方に生き残るのみとなった。
ヨーロッパライオンは過剰な狩猟(ライオン狩りはギリシア人やローマ人にとって一般的なものであった)、生息地の開発、そして野犬との競合のせいで絶滅したとされる。バーバリライオン、アジアライオンとともにヨーロッパライオンは古代ローマの円形闘技場で使われ、そこで闘獣士(en)やカスピトラ、クマ、オーロックスなどといった他の猛獣と闘わされた。ローマ人にとって、北アフリカや中東のライオンに比べて本種は生息地が近隣にあって都合良く、この入手の容易さが早期の絶滅へとつながった。ヨーロッパライオンが複数因子によって絶滅への道を歩んでいたころ、ローマ人は闘技場で闘わせる目的で北アフリカと中東からライオンの輸入を始めている。
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