皆様
月日が経つのは早いものですと月並みですが冒頭のご挨拶になりましたがもう師走です。皆様お元気で年の暮れを迎えられたこととお察ししております。
通常ならせわしい年の暮れですが歳を取ると全くそんなことも無く、日がなボケっと時が過ぎてゆきます。下半身はかなりへたっており、へそから上はまだ何とか機能しているようでも時間の問題という今日この頃です。忘年会シーズンで例年ならお断りしないのですが、歩行困難から誠に残念ながらすべてお断りせざるを得ない羽目に陥っております。
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2024年師走便り
こんにちは。暖かく短い秋が終わり一挙に冬到来です。今回はもうだめかとかなりショッキングな事態に遭遇したので少し細かく記述しておきます。先月初めごろから下半身の調子が悪く外出を控えていましたが、衆議院議員選挙は何としてもと思い、杖をつきながらなんとか投票日前日期日前投票を済ませました。21日の夜プレミア12のアメリカ戦を観終わったので、いつものように風呂に入ろうとしたのですが、背中と腰から下の痛みがひどく風呂は無理と早々ベッドに入りました。寝返りも難しいぐらい痛みがひどく、いよいよ寝たきりになるのではという思いが頭をよぎりました。自力で歩けない感じでしたが朝までに3回壁を伝わりながらトイレに行きましたがほとんど眠れませんでした。その時考えたことですが救急車を呼んで病院に行くこと、数日前に逗子の中部包括センターから電話があり介護の相談に乗るというので電話番号と社会福祉士の名前をメモしていたので電話して相談すること、近くの整形外科に何とか自力で出かけられないかとこの3拓を朝カミさんに伝えました。結果的に社会福祉士に電話をしたのですが色々相談に乗ってくれ、介護申請をすること並びに車椅子を貸してもらえるとのことなので近くの整形外科に行くことにしました。前年暮れ今回と同様自力では起き上がれず、息子の車で医者に行った時のMRIを持参し、前の医院とは別ですが近くの医院までカミさんに車椅子を押してもらい、よたよたしながら何とかたどり着いたものでした。前回のMRIの写真と今回撮ったレントゲン写真の画像を観比べながら脊柱管狭窄症の説明を聞きました。痛み止めの薬と副作用止めの薬6種類を飲めとの処置でしたがその日の夕食後から早速薬の効果が出始め、背中や腰の痛みは和らぎましたが、ひざから下の痺れは以前と全く変わらずむしろひどくなったような感じでした。1年前も痺れは手術しても治らないと無情に宣告されたのですが、今回は薬のお陰で痛みが和らいだだけですがこうも気分が違うのかと思い知ったものです。 さて毎年師走便りの恒例はその年の重大ニュースを整理しておくことですが、今年も同様に主観と偏見のかたまりで重大ニュースを選んでみました。以下国内ニュース、海外ニュース、スポーツニュースとごちゃ混ぜですが一応時系列に並べてみました。スポーツ界は大谷翔平に終始した感があります。
◎石川で震度7=能登に一時大津波警報
◎サプリから青カビ由来成分=小林製薬社長が謝罪
◎ドジャース、水原氏解雇を発表=違法賭博関与か
◎ダルビッシュ日米通算200勝=米大リーグ
◎ロ朝新条約、有事に相互支援
◎トランプ氏、銃撃され負傷=集会で演説中
◎南海トラフ初の「巨大地震注意」=宮崎で震度6弱
◎岸田首相が退陣表明
◎能登半島大雨
◎自民新総裁に石破氏
◎日本被団協にノーベル平和賞
◎自公惨敗、過半数割れ=衆院選
◎ドジャース、4年ぶりWS制覇=米大リーグ
◎横浜DeNAが26年ぶり日本一
◎トランプ前大統領が次期大統領選当選
◎大谷翔平がリーグMVP獲得、2年連続3度目
以上気候の大変動も加わって激動の2024年でした。「もしトラ」が、現実に!“アメリカ第一主義”の公約を次々に打ち出してきたトランプ氏。自信満々に「約束は守る」と語り、アメリカの経済政策は大きく変わる見通しです。日本にも大きな影響が…。特に、円相場は大きく変動。アメリカへの輸出企業は打撃を受ける可能性も。国内は自公の過半数割れ、国民民主の躍進で新たな経済対策をめぐり、いわゆる「年収103万円の壁」の見直しにつながる内容を盛り込んだ修正案で合意しました。3党は経済対策の裏付けとなる今年度の補正予算案早期成立などの確認をしました。まだまだ予断を許しませんが従来の合意形成とは異なる国家運営に期待することにしましょう。では良いお年をお迎えください。 2024年12月1日
お大事に
いつも月の初めの「便り」は公開されてすぐに拝読しているのですが、今年は妻の病院通いなどあわただしいことがあって10日も立ってやっとページを開く始末でした。
読み始めたら会長が大変なことになっていると知りびっくりしました。「ア協会」の忘年会を断られたので腰痛を用心してのことかとは思いましたが、用心どころではなかったのですね。
「便り」では包括支援センターのアドバイスを受けているとありました。私の両親、叔母も地域の民生委員からの案内で市区町村の包括支援センター、ケアマネージャー、介護認定と、福祉が手際よく連携してくれ両親は「要支援」叔母は「要介護」認定を得てそれぞれの住まうところで生活を続けられることができました。
会長も福祉や医療との連携も万全のようですから、痛みを我慢するのはつらいでしょうが、安心はしてよさそうですね。どうぞお大事にしてください。
「奥さんの病院通い」とありますが如何しましたか? 当方の介護認定の結果はまだ出ていませんが要支援に引っ掛かるかきわどいところだと思っています。介護保険制度は2000年から始まり今までは保険料を払いっぱなしでした。お袋などは多分一銭も払わず面倒見られっぱなしで亡くなったのではないかと思うと合わせてチャラかといった感じです。いずれにしても今のところは何とか自立できていますがこれも時間の問題と思っています。
その後 介護認定されましたが仲間内では第1号かと思いますが要支援2でした。今まで介護保険は払う一方でしたがここで保険の恩恵に被る側に立ってしまい全く情けない話です。亡くなったお袋は約10年要介護5でしたのでバランスはとれているのでしょう。昨日はカミさんが転んで膝のお皿の骨折で田村さんには本当にお世話になりました。当方が行った同じ医院に車椅子を押して連れってくれたのです。感謝です。車椅子はすぐ借りられたのですが、福祉士が押して連れて行くことは今日は無理とのことさてどうするか、そう言えば近くに田村さんがいる、カミさんも田村さんは「プールで挨拶する仲」だと思いついたのです。即電話したら田村さんも病み上がりにも関わらずすぐ対応してくれましたが本当に助かりました。
車椅子を押すことは慣れないと結構大変なのですがコツをつかむとそれほどでもありませんが身近にいれば別ですが慣れることなどそう簡単ではありません。