月については言いたいことがたくさんあるので、質問コーナーだけで語りつくすのは難しいですが…
私も最初に学び始めたとき、いわゆる占星術本に出ている「月」の象徴に納得がいかず、自分なりに月を研究し続けてきました。
基本的には、月は「心」がつかさどっているもの――――思い、気持ち、感情という理解でいいと思います。そして特に、安心感、所属感覚、理解されたい欲求ということになるでしょうか。
しかし、私的には、世の中の「月を満たす」という考え方に異論があります。
月をケアするだけでは、決して月=心が満たされることはありません。月は、太陽系活動=公的活動を通してしか、月を理解することはできないからです。なぜなら、地球=ジオセントリック的視点からでは、月の表側しか見えない、裏側は決して見ることができないのです。地球=私からの視点だけでは、自分のことは半分も理解できないということになります。
だから、「月=心を大切にしよう!」「月=私の心を理解しよう!」といっても、月にアプローチするだけでは、月=自分の気持ち、思い、欲求など理解できないということになります。
そこで大事になるのが太陽=公的活動です。社交や仕事、そういった公的活動に従事することで、自分の世界にとどまっているだけでは知りうることができなかった自分自身の心にアクセスすることになります。公的活動をしっかりやっている人たちは、自分の思いや欲求にも忠実になれる。逆に月ばかり意識している人は、いつまでたっても「私の望みは一体何だろう」とぐずぐずすることになります。
自分の殻=安心できるテリトリーから出ることなく、自分を完全に満たすことなど決してできないのです。
太陽活動=貢献的活動に従事しないと、本当の意味で人は幸福を感じることはないというのはこういうことです。
月の世界にとどまり、「私を満たして」「私をわかって」と叫んだところで、その思いは誰にも届きません。月に願いを込めようが、黄色い財布を振ろうが、新月や満月にノートにメモしようが、結局のところ、人生が何も変わらないのは、月も太陽系の持ち物だからです。実際、天文的にも月は太陽の引力に大きく影響を受けているのです。
私の講座では、月を大事にしすぎないようにという言い方をします。太陽系の活動をすれば、基本的によく食べるし、消化力は上がるし、夜は眠くなる。太陽の光を浴びるとメラトニンが増えるというのと同じシステムです。
月を大事にしすぎると、一日中ずっともやもやします。もやもやの解消は、太陽が出ている時間帯は活動すること。自分なりに生産力を発揮し今日の糧を生むこと。そうすれば、月は健やかになる。
もちろん、人生にはいろいろなときがあります。大切な人、ものを失ったとき、長い間、深い悲しみの中に沈み続けることもあるかもしれません。病や経済的事情などで、引きこもらざるを得ないこともあります。そのときは、人知れず、自分の世界にとどまることも必要です。けれど、いつかは月の世界から出て、太陽系の活動に向かうことが大事になります。
まだまだ月については、語れることはたくさんありますが今日はこの辺で。