更に「寿量品」の言葉も根拠とされておられます。
又壽量品云。如來明見無有錯謬。以諸衆生有種種性種種欲種種行種種憶想分別故。
欲令生諸善根。以若干因縁譬喩言辭種種説法。所作佛事未曾暫廢。種種性者即是爲人。
種種欲者即是世界。種種行者即是對治。種種憶想分別。即是推理轉邪憶想得見第一義。
兩處明文四義具足。而皆言爲衆生説法。豈非四悉檀設教之明證也
又た、寿量品に云わく、「如来は明らかに見て、錯謬有ること無し。諸もろの衆生に種種の性、種種の欲、種種の行、種種の憶想分別有るを以ての故に、諸もろの善根を生ぜしめんと欲して、若干の因縁、譬喩、言辞を以て、種種に説法す。作す所の仏事は、未だ曾て暫くも廃せず。」と。「種種の性」とは、即ち是れ為人なり。「種種の欲」とは、即ち是れ世界なり。「種種の行」とは、即ち是れ対治なり。「種種の憶想分別」は、即ち是れ理を推して、邪な憶想を転じて、第一義を見ることを得。両処の明文に、四義具足す。而して皆な「衆生の為めに説法す」と言う。豈に四悉檀もて教を設くるの明証に非ざたんや。
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因縁説周は蔵教の声聞に対し、譬喩説周は蔵教の縁覚に対し、法説周は蔵教の菩薩に対してお釈迦さまは三周の説法を『法華経』の中で展開します。そして三乗に開いて説いた教えを一つに集約して第一義悉檀の虚空絵の説法が「寿量品」で説かれます。
四悉檀は、智顗以前に龍樹が『大智度論』の中で説き明かした法論です。智顗は以上のような根拠を以って龍樹の四悉檀が仏説に基づいて説かれた教説であると述べておられます。
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