『博多めんたい佛教大学』

『大乗起信論』について / 21

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法介 2025/01/06 (月) 04:53:29 修正

私は更に、ChatGPTに次のような質問を投げかけました。

法蔵が翻訳した『大乗起信論』では、

本覚(ほんがく)
「本来的な悟り」という意味で、全ての衆生が本来から持つ悟りの性質を指します。この悟りは修行や努力によって新たに得られるものではなく、初めから具わっている仏性そのものとされています。

始覚(しがく)との対比
「本覚」に対して、「始覚」とは修行を通じて初めて悟りを体得するプロセスを意味します。『大乗起信論』では、本覚と始覚の関係が、迷いと悟りの関係性を説明する基盤となっています。

と本覚と始覚が説かれてますが、

真諦訳の『大乗起信論』では、天台智顗が唱えた本覚(久遠実成)と始覚(始成正覚)が説かれているように読み取れると思うのは、わたしだけでしょうか?

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