以下は、智顗の『佛説觀無量壽佛經疏』の漢文を和訳したものです。内容が仏教哲学の高度な教義を含むため、できるだけ平易に、かつ原文の意味を尊重して訳しています。
和訳
1. 極楽浄土と現世の対比
極楽浄土と苦しみに満ちた現世は、金銀や宝石と泥や砂のように異なる。胎内のような苦しみの地獄と、華池(浄らかな池)を思い望むことの違い。棘の茂みと美しい瓊樹(玉の木)のように、心が清浄であるか汚れているかによって、二つの世界(浄土と穢土)がどのように上下するかを理解できる。行いが善であれば美しく、悪であれば粗悪となる。これは形がまっすぐであれば影もまっすぐ、源が濁れば流れも曇るようなものだ。
2. 極楽浄土を目指すための修行
したがって、極楽浄土に生まれたいと願う者は、十六の妙観(観法)を修めるべきである。また、阿弥陀仏と世尊(仏陀)を見たいと願う者は、三つの清浄な業(身・口・意の善行)を行う必要がある。この教えは、具体的な因縁の事象を通して漸次的に示されるものだ。
3. 『観無量寿仏経』の背景と教え
この経典が説かれたのは、闍王(アジャータシャトル)が逆行(父王の殺害)を行い、韋提希夫人が嘆願した結果である。偉大な聖者(仏)は慈悲を垂れ、機に応じて教えを説き、輝く玉の姿や荘厳な台座によって吉祥を示した。経典は、極楽浄土の美しい国土を広く描写しているが、その目的は「安養浄土」(極楽浄土)に帰することにある。
4. 極楽浄土を観じる象徴
末世の人々に縁があるよう、妙観の実践を勧めた。たとえば、夕陽に向かって鼓を打つことで集中を促し、凍った水が氷となることで瑠璃の地を象徴する。また、風が宝の葉を揺らし、天の音楽と調和し、波が金色の渠(運河)を動かし、経典の教えと響き合うように示されている。
5. 修行の完成と結果
観法を行うことで、修行者は阿弥陀仏の肉髻(頭の形)や眉間の白毫を観じ、その姿を思い浮かべる。そして死を迎える時には、荘厳な台座に乗り、高く舞い上がる。文字が完成し、印が押されるように、金蓮の台座に座って浄土に生まれ変わる。その後、三輩(上・中・下の三種の修行者)に従い、五苦(生・老・病・死・愛別離苦)を越え、永遠に解脱の道を進む。
6. 『観無量寿仏経』の核心的意義
この経典の中心は「心観」にあり、その本質は「実相」にある。「観無量寿仏」という題名は、阿弥陀仏が観法の対象であり、浄土の主としての勝れた境地を示している。「仏」を挙げて正報(仏の果報)を含み、「依報」(環境としての浄土)をも包括している。観法は十六種類あるが、仏を思い浮かべることでその全体が包含される。
7. 経典の名称の解釈
「経」という言葉は、法則や永遠性を意味する。これは聖者の金口(釈迦が説いた教え)によるものであり、「経」と呼ばれる所以である。
8. 仏と衆生の関係性
仏とは「覚者」を意味し、六つの意味を持つ。涅槃経には、一切衆生も仏であると説かれる。これは、貧しい女性が宝物を家に持っているようなもので、元来すべての衆生が仏性を持っているという考えだ。たとえば、黄金が古布で包まれているように、その価値が隠されているだけであり、衆生もまたその本質を失っていない。
法華経は「仏が出現しない時代は、世界は暗闇である」と説き、仏の教えによって初めて真理が明らかになることを強調している。
全体の意義
この解釈は、『観無量寿仏経』の中心的な教えを明らかにし、修行者が極楽浄土を目指すための道筋を示しています。同時に、仏教の基本的な哲学である「因縁」「実相」「仏性」がどのように現実世界と結びついているかを解説しています。