『博多めんたい佛教大学』のホワイト・ボードとして活用して行きます。
楽しく仏教を学べる空間をクリエートして参ります。
天台の智顗は『法華玄義』で次のように四諦について解き明かしております。
四種十二因縁者。化城品明生滅十二縁。 譬喩品。但離虚妄。是不生十二縁。方便品云佛種從縁起。 是界外無量無作兩種十二縁。四四諦者。譬喩品。諸苦所因貪欲爲本。 是生滅四諦。藥草喩品。了達空法。是無生四諦。又云無上道。及方便品。 但説無上道如來滅度等。是界外無量無作兩種四諦也。十如差別。是世諦。
https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1716_,33,0705b23&key=答十如名義已備於前四種十二因縁者&ktn=&mode2=2
語訳しますと次のようになります。
四種の十二因縁は、化城品に生滅の十二縁を明かす。譬喩品の「但に虚妄を離るるのみ」とは、是れ不生の十二縁なり。方便品に「仏種は縁従り起こる」と云うは、是れ界外の無量・無作の両種の十二縁なり。四の四諦とは、譬喩品の「諸もろの苦の因る所は、貪欲を本と為す」とは、是れ生滅の四諦なり。藥草喩品の「法空に了達す」とは、是れ無生の四諦なり。また、「無上道」と云い、及び方便品の「但だ無上道を説くのみ」、「如来の滅度」等とは、是れ界外の無量・無作の両種の四諦なり。
ここで言う「四種の十二因縁」とは、智顗の『四教義』巻第二に、
問うて曰わく、何処の経論に此の四種の四諦を出だすや。答えて曰わく、若し散説せば、諸の経論の縁に趣く処々に、此の文義有り。但し一処に聚(あつ)まらざるのみ。『大涅槃経』に慧聖行を明かして、五味の譬えの本と為さんと欲す。是を以て次第に分別して、此の四種の四諦を明かす。『勝鬘』にも亦た四種の四諦の文有り。所謂る有作四諦・有量四諦・無作四諦・無量四諦なり。
とあります通り次の「四種四諦」の事を言います。
<四種四諦> 生滅の四諦=四諦の因果がすべて生滅ありと観察する蔵教の四諦観 不生の四諦=四諦の因果がすべて空で生滅がないと観察する通教の四諦観 無生の四諦=四諦の因果に無数の差異があると観察する別教の四諦観 無作の四諦=四諦の因果がすべて実相であり不可思議と観察する円教の四諦観
天台教学で言う〝四聖〟とは、凡夫の六道に加えられる四種の聖なる境涯の事を言います。
六道+四聖=十界
いわゆる、仏門に入って得られる声聞・縁覚・菩薩・仏といった四種の聖なる境涯です。
それが四種の四諦を覚った境涯です。
蔵教の四諦観=声聞 通教の四諦観=縁覚 別教の四諦観=菩薩 円教の四諦観=仏
zenさんに「如実知見」ってどういう事だと思われますか?
とお聞きしましたところ、
次ののうな答えが返って来ました。
zenさん: 如実知見はありのままに観ることです。 普通の人はありのままに観ることができません。物質が実在するとか自分が人間であるとか生死があるといった思い込みにとらわれているからです。 そういった判断を一切することなくありのままに観ることが如実知見です。
実はこの「如実知見」、
今、紹介しました声聞・縁覚・菩薩・仏といった四種の聖なる境涯によって
知見の内容が異なるんですね。
どう異なるかをChatGPTに答えてもらいましょう。
ChatGPTに対する質問文: 如実知見について質問します。如実知見は声聞、縁覚、菩薩、仏といった境涯によってその意味する内容も異なってきたりもしかすか?
次のような回答が返って来ました。
「如実知見(にょじつちけん)」は仏教の重要な概念であり、物事をあるがままに、つまり真実そのものとして正しく見極めることを指します。この理解は、修行者の境涯(声聞、縁覚、菩薩、仏)によって確かに異なる側面を持つ可能性があります。それぞれの境涯での如実知見の意味を簡単に整理すると以下のようになります。
1. 声聞の如実知見 声聞は、仏陀の教えを聞き、そこから修行を進める境涯です。声聞にとって如実知見とは、主に「四諦」(苦、集、滅、道)の真理を直接的に理解し、それを体得することに重点があります。彼らの如実知見は、苦しみの原因とその解消の方法を明確に知り、それに基づく実践を行うことを指します。
2. 縁覚の如実知見 縁覚(独覚とも)は、他者の教えを頼らずに自然の事象(特に十二因縁)を通じて悟りを得る境涯です。彼らにとって如実知見は、因果の法則や無常・無我の原理を直接観察し、深く理解することを意味します。この理解は個々の観察に基づくため、声聞よりも直観的で独立的な要素が強いと言えます。
3. 菩薩の如実知見 菩薩の如実知見は、単に真理を理解するだけでなく、その理解を衆生を救うために活用する点に特色があります。菩薩は空(全てが相互依存しているという真理)の理解を通じて、他者の苦しみを分かち合い、慈悲と智慧をもって行動します。如実知見は「自他共に悟りを得る」ための指針となります。
4. 仏(如来)の如実知見 仏陀(如来)の如実知見は完全無欠なものであり、すべての真理を妨げなく、完全に理解した状態です。この境涯では、迷いや煩悩が一切なく、如実知見は真理そのものと一体化した状態を意味します。仏陀の如実知見は他者に教えを説き、導くための普遍的な智慧ともなります。
境涯による差異の根本的な理由 これらの違いは、それぞれの境涯における修行の段階や目的、智慧の深さに基づいています。声聞や縁覚は自らの解脱を目指しますが、菩薩や仏は他者の救済を含む、より広い視野での如実知見を追求します。そのため、如実知見はその人の境涯や発心によって具体的な形や実践方法が異なると言えます。
如実知見の理解が深まると、より広い視野での自己や他者、世界の本質に気づくことができます。このように仏教は個々の修行者の能力や目的に応じた道を提示しており、如実知見もそれに応じて変化していくのです。
ご覧のように、それぞれの境涯における修行の段階や目的、智慧の深さによって如実知見の内容も各々に異なってきます。
四諦が繰り返し説法されたのは対機説法なんですね。
対機説法(たいきせっぽう)とは、
相手の能力や素質に応じて法を説くことをいいます。
① 仏門に入っても尚、実体思想から抜けきらないでいる声聞という境涯に対しては、実在の真理を説き、
② 空を覚って実体思想から離れて縁起で対象を観れるようになった縁覚の境涯には空理を説き、
③ 法のあり方を理解するに至った菩薩の境涯には覚りの理論を説き、
④ 最終的に仏が覚った最高の境地(真如の世界観)へと導きます。
① 苦諦 ---(声聞の覚り)蔵教 ② 集諦 ---(線覚の覚り)通教 ③ 滅諦 ---(菩薩の覚り)別教 ④ 道諦 ---(仏の覚り)円教
四諦の三転法輪は、最後に円教の『法華経』で四回目の法輪説法がなされます。
ですから天台教学では、四種四諦を説きます。
こちらで詳しく解説しておりますので宜しかったら目を通されてみて下さい。
四種四諦 https://zawazawa.jp/gengi/topic/2
以上の内容を分かりやすく要約して言いますと
次のように言えるのではないかとわたしは思います。
本日一時限目の要点
「四諦の三転法輪の内容」 声聞に対する初転法輪=『倶舎論』---(実在論) 縁覚に対する第二法輪=『中論』---(空の理論) 菩薩に対する第三法輪=『唯識論』---(認識論)
二時限目では、なぜそう言えるのかを立証していきます。
おはようございます、法介です。
二時限目の授業に入る前に、ちょっといいでしょうか。
只今、学園の課外活動として
このような企画を開催しております。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11307567441
未だ正解者が出ておりません。
検索でググれば、案外答えは分かりそうな問題なのですが、、、
我こそはと思われる方
ふるってのご参加
お待ちしております。
そしてまた、ニコるんが
このようなところで、 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14307608614
うぴ子さんを人質に取り意味のない立てこもりに打って出ました。
誰か奴を説得してくれませんか。
わたしが(勝手に)思うに、
あいつは自身の経歴から、宗教というものをもの凄く憎んでいると思うんです。
なのでその宗教を語る行為がニコるん的には、許せない行為にあたるんだろうなーと。
私はそう理解しているので、
あいつがわたしに何を行ってこようが
全然怒りの感情も起こらないし、またかーって感じて聞き流せます。
人って、自分が理解出来ない出来事に遭遇すると
えええええええ!
なんでだよ~~~~~!
ってなりますよね。
実は昨夜、
ぼーさつさんのここでの投稿文を見て https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11307567441
わたしもそういう気分になったところです。
不適切なコンテンツとして通報するには以下の「送信」ボタンを押して下さい。 管理チームへ匿名通報が送信されます。あなたが誰であるかを管理チームに特定されることはありません。
どのように不適切か説明したい場合、メッセージをご記入下さい。空白のままでも通報は送信されます。
通報履歴 で、あなたの通報と対応時のメッセージを確認できます。
トピックをWIKIWIKIに埋め込む
次のコードをWIKIWIKIのページに埋め込むと最新のコメントがその場に表示されます。
// generating...
プレビュー
ここまでがあなたのコンテンツ
ここからもあなたのコンテンツ
天台の智顗は『法華玄義』で次のように四諦について解き明かしております。
四種十二因縁者。化城品明生滅十二縁。
譬喩品。但離虚妄。是不生十二縁。方便品云佛種從縁起。
是界外無量無作兩種十二縁。四四諦者。譬喩品。諸苦所因貪欲爲本。
是生滅四諦。藥草喩品。了達空法。是無生四諦。又云無上道。及方便品。
但説無上道如來滅度等。是界外無量無作兩種四諦也。十如差別。是世諦。
https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1716_,33,0705b23&key=答十如名義已備於前四種十二因縁者&ktn=&mode2=2
語訳しますと次のようになります。
四種の十二因縁は、化城品に生滅の十二縁を明かす。譬喩品の「但に虚妄を離るるのみ」とは、是れ不生の十二縁なり。方便品に「仏種は縁従り起こる」と云うは、是れ界外の無量・無作の両種の十二縁なり。四の四諦とは、譬喩品の「諸もろの苦の因る所は、貪欲を本と為す」とは、是れ生滅の四諦なり。藥草喩品の「法空に了達す」とは、是れ無生の四諦なり。また、「無上道」と云い、及び方便品の「但だ無上道を説くのみ」、「如来の滅度」等とは、是れ界外の無量・無作の両種の四諦なり。
ここで言う「四種の十二因縁」とは、智顗の『四教義』巻第二に、
問うて曰わく、何処の経論に此の四種の四諦を出だすや。答えて曰わく、若し散説せば、諸の経論の縁に趣く処々に、此の文義有り。但し一処に聚(あつ)まらざるのみ。『大涅槃経』に慧聖行を明かして、五味の譬えの本と為さんと欲す。是を以て次第に分別して、此の四種の四諦を明かす。『勝鬘』にも亦た四種の四諦の文有り。所謂る有作四諦・有量四諦・無作四諦・無量四諦なり。
とあります通り次の「四種四諦」の事を言います。
<四種四諦>
生滅の四諦=四諦の因果がすべて生滅ありと観察する蔵教の四諦観
不生の四諦=四諦の因果がすべて空で生滅がないと観察する通教の四諦観
無生の四諦=四諦の因果に無数の差異があると観察する別教の四諦観
無作の四諦=四諦の因果がすべて実相であり不可思議と観察する円教の四諦観
天台教学で言う〝四聖〟とは、凡夫の六道に加えられる四種の聖なる境涯の事を言います。
六道+四聖=十界
いわゆる、仏門に入って得られる声聞・縁覚・菩薩・仏といった四種の聖なる境涯です。
それが四種の四諦を覚った境涯です。
蔵教の四諦観=声聞
通教の四諦観=縁覚
別教の四諦観=菩薩
円教の四諦観=仏
zenさんに「如実知見」ってどういう事だと思われますか?
とお聞きしましたところ、
次ののうな答えが返って来ました。
zenさん:
如実知見はありのままに観ることです。
普通の人はありのままに観ることができません。物質が実在するとか自分が人間であるとか生死があるといった思い込みにとらわれているからです。
そういった判断を一切することなくありのままに観ることが如実知見です。
実はこの「如実知見」、
今、紹介しました声聞・縁覚・菩薩・仏といった四種の聖なる境涯によって
知見の内容が異なるんですね。
どう異なるかをChatGPTに答えてもらいましょう。
ChatGPTに対する質問文:
如実知見について質問します。如実知見は声聞、縁覚、菩薩、仏といった境涯によってその意味する内容も異なってきたりもしかすか?
次のような回答が返って来ました。
「如実知見(にょじつちけん)」は仏教の重要な概念であり、物事をあるがままに、つまり真実そのものとして正しく見極めることを指します。この理解は、修行者の境涯(声聞、縁覚、菩薩、仏)によって確かに異なる側面を持つ可能性があります。それぞれの境涯での如実知見の意味を簡単に整理すると以下のようになります。
1. 声聞の如実知見
声聞は、仏陀の教えを聞き、そこから修行を進める境涯です。声聞にとって如実知見とは、主に「四諦」(苦、集、滅、道)の真理を直接的に理解し、それを体得することに重点があります。彼らの如実知見は、苦しみの原因とその解消の方法を明確に知り、それに基づく実践を行うことを指します。
2. 縁覚の如実知見
縁覚(独覚とも)は、他者の教えを頼らずに自然の事象(特に十二因縁)を通じて悟りを得る境涯です。彼らにとって如実知見は、因果の法則や無常・無我の原理を直接観察し、深く理解することを意味します。この理解は個々の観察に基づくため、声聞よりも直観的で独立的な要素が強いと言えます。
3. 菩薩の如実知見
菩薩の如実知見は、単に真理を理解するだけでなく、その理解を衆生を救うために活用する点に特色があります。菩薩は空(全てが相互依存しているという真理)の理解を通じて、他者の苦しみを分かち合い、慈悲と智慧をもって行動します。如実知見は「自他共に悟りを得る」ための指針となります。
4. 仏(如来)の如実知見
仏陀(如来)の如実知見は完全無欠なものであり、すべての真理を妨げなく、完全に理解した状態です。この境涯では、迷いや煩悩が一切なく、如実知見は真理そのものと一体化した状態を意味します。仏陀の如実知見は他者に教えを説き、導くための普遍的な智慧ともなります。
境涯による差異の根本的な理由
これらの違いは、それぞれの境涯における修行の段階や目的、智慧の深さに基づいています。声聞や縁覚は自らの解脱を目指しますが、菩薩や仏は他者の救済を含む、より広い視野での如実知見を追求します。そのため、如実知見はその人の境涯や発心によって具体的な形や実践方法が異なると言えます。
如実知見の理解が深まると、より広い視野での自己や他者、世界の本質に気づくことができます。このように仏教は個々の修行者の能力や目的に応じた道を提示しており、如実知見もそれに応じて変化していくのです。
ご覧のように、それぞれの境涯における修行の段階や目的、智慧の深さによって如実知見の内容も各々に異なってきます。
四諦が繰り返し説法されたのは対機説法なんですね。
対機説法(たいきせっぽう)とは、
相手の能力や素質に応じて法を説くことをいいます。
① 仏門に入っても尚、実体思想から抜けきらないでいる声聞という境涯に対しては、実在の真理を説き、
② 空を覚って実体思想から離れて縁起で対象を観れるようになった縁覚の境涯には空理を説き、
③ 法のあり方を理解するに至った菩薩の境涯には覚りの理論を説き、
④ 最終的に仏が覚った最高の境地(真如の世界観)へと導きます。
① 苦諦 ---(声聞の覚り)蔵教
② 集諦 ---(線覚の覚り)通教
③ 滅諦 ---(菩薩の覚り)別教
④ 道諦 ---(仏の覚り)円教
四諦の三転法輪は、最後に円教の『法華経』で四回目の法輪説法がなされます。
ですから天台教学では、四種四諦を説きます。
こちらで詳しく解説しておりますので宜しかったら目を通されてみて下さい。
四種四諦
https://zawazawa.jp/gengi/topic/2
以上の内容を分かりやすく要約して言いますと
次のように言えるのではないかとわたしは思います。
本日一時限目の要点
「四諦の三転法輪の内容」
声聞に対する初転法輪=『倶舎論』---(実在論)
縁覚に対する第二法輪=『中論』---(空の理論)
菩薩に対する第三法輪=『唯識論』---(認識論)
二時限目では、なぜそう言えるのかを立証していきます。
おはようございます、法介です。
二時限目の授業に入る前に、ちょっといいでしょうか。
只今、学園の課外活動として
このような企画を開催しております。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11307567441
未だ正解者が出ておりません。
検索でググれば、案外答えは分かりそうな問題なのですが、、、
我こそはと思われる方
ふるってのご参加
お待ちしております。
そしてまた、ニコるんが
このようなところで、
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14307608614
うぴ子さんを人質に取り意味のない立てこもりに打って出ました。
誰か奴を説得してくれませんか。
わたしが(勝手に)思うに、
あいつは自身の経歴から、宗教というものをもの凄く憎んでいると思うんです。
なのでその宗教を語る行為がニコるん的には、許せない行為にあたるんだろうなーと。
私はそう理解しているので、
あいつがわたしに何を行ってこようが
全然怒りの感情も起こらないし、またかーって感じて聞き流せます。
人って、自分が理解出来ない出来事に遭遇すると
えええええええ!
なんでだよ~~~~~!
ってなりますよね。
実は昨夜、
ぼーさつさんのここでの投稿文を見て
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11307567441
わたしもそういう気分になったところです。