平成10年台に入り、大会形式の変革化が
活発になってきました。手始めは会場の変更
それまで信州会館で行われていた県大会の
会場を変更。代わりに選ばれた会場は
何と我が塩尻支部の広丘道場でした。この時
初めて主管支部となった塩尻支部の支部長は
初代支部長にして当時長野県将棋連合会の
副会長を務める馬場一行さんでした
アマ名人戦の中信予選の型式がトーナメント
からリーグ戦に切り替わったのも塩尻支部が
初めて主管支部となった時、そして馬場支部長
時代の時でした。どんなプロセスを経たのかは分かりませんが、此れ等の行動は「馬場さんは積極的に改革のメスを入れる人」という印象を私・丸山の頭に焼き付けるには充分なエピソードでした
これ以降、県大会の会場は松本市や塩尻市の
公共施設での開催が定例化いたします
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