風魔 小太郎(ふうま こたろう)は、後北条氏の忍者・風魔一党の頭領の代々の名前。
風魔一党は相模足柄郡に拠点を持つ忍者集団で、伊勢宗瑞(北条早雲)の時代から[要出典]諜報・後方攪乱などで活躍した。本姓は風間であったが、やがて風魔と称されるようになった。
北条家に仕えること100年の間で、最も有名なのは北条氏政・氏直父子に仕えた五代目[要出典]風魔小太郎(? - 慶長8年〔1603年〕)であり、「身の丈七尺二寸(2m16cm)、筋骨荒々しくむらこぶあり、眼口ひろく逆け黒ひげ、牙四つ外に現れ、頭は福禄寿に似て鼻高し」という異様な姿だったという伝説も残っている。特に天正9年(1581年)、武田勝頼との黄瀬川の戦いでは、闇夜に紛れた攪乱作戦で目覚しい戦果を挙げている。著名な忍者の一人、二曲輪猪助も風魔忍者である。
北条家が滅亡すると、小太郎と風魔一党は江戸近辺を荒らし回る盗賊に成り下がり、1603年に盗賊・高坂甚内(甲斐武田家に仕えた忍者)の密告により徳川家に捕縛され処刑されたと言われている。
『武江年表』には「『北条五代記』に風魔のことがあると言及されているが、他の史料には触れられていない。