今回の大河ドラマ歴史探訪は
数奇な運命をたどる女武者
その菩提寺を訪ねてみました
木曽義仲の妾であり、大力と美しさを兼ね備えた強弓の女武者でもある巴御前は、頼朝に処刑されそうになりましたが、三浦一族和田義盛の助命により助けられ、彼の妻になり91歳の生涯を全うしたと言われています。
※『平家物語』巻第九「木曽最期」には次のような文が残されています。
【意訳】
巴御前は色白で髪は長く、顔立ちも実に美しい。強弓の名手で騎馬でも徒歩でも、いざ刀を持って白兵戦となれば、たとえ鬼神であろうと挑みかかる一騎当千の強者である。どんな荒馬でも乗りこなして、悪路も怯まず駆け抜ける。そこで義仲は戦になると、彼女にしっかりした鎧に大太刀、強弓を与えて一軍を任せた。その期待に応え、数々の戦場で武功を立てる様子は、木曽軍中でも比肩する者がいないほどであった。
今回はその巴御前ゆかりの寺、横須賀市秋谷にある正行院を訪ねてきました。
鎌倉幕府の初代侍所別当(軍事長官)である和田義盛が奥さん(巴御前)のために建てた正行院は、葉山御用邸静養中の天皇も愛されたという前田川遊歩道から大楠山を登る道の山側にありました。三浦半島の最高峰である大楠山を背後にした自然豊かな場所です。寺内にある樹木のもとには、巴御前の頭髪が埋葬されたと伝えられています。
ただ、「源平盛衰記」では、和田合戦で一族が滅亡したあと、巴御前は越中国(富山県)へ移り住み、そこで夫や子の菩提を弔う日々をおくり、91歳で亡くなったとされています。
この「源平盛衰記」の話自体が創作の可能性が高いと言われているので、史実であったかどうかは分かりません
そして、鎌倉時代の正式な歴史書で「鎌倉殿の13人」の原作とも言える「吾妻鏡」には、そもそも巴御前は1度も登場していないとの事です。
物語としては面白いんですが、本当はどうなんでしょうね? もしタイムスリップ出来るなら本人に会って真実を聞いてみたいですね〜:he
art_eyes:
史実において
巴御前が登場するのは軍記物語の『平家物語』および『源平盛衰記』のみであり、当時の一次史料や鎌倉幕府編纂書の『吾妻鏡』には、その存在は確認されない。女武将であるという物語の記述は史実としては疑問があり、文学的脚色である可能性も高い。『平家物語』における巴御前の記述は至って簡略で義仲との関係も書かれていないが、より後の時代に書かれた『源平盛衰記』において大きく人物像が書き加えられている。 出典:ウィキペディア(Wikipedia)