城ヶ崎姫子
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2024/05/22 (水) 23:45:49
トロッコ問題に関しては、俺は「その人間を『生かす価値』があるか」と思うが、これも功利主義なのかね
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トロッコ問題における「その人間を『生かす価値』があるか」という考え方は、功利主義の一つの側面と言えるでしょう。
功利主義は、最大多数の最大幸福を追求する倫理学説です。この考え方に基づくと、5人を救うために1人を犠牲にすることが、より多くの幸福を生み出すため、倫理的に正しい選択となります。
しかし、功利主義は、個人の権利や尊厳を重視する非功利主義とは対立する考え方でもあります。非功利主義は、たとえ5人を救うためであっても、1人の命を意図的に奪うことは倫理的に許されないことになります。
「その人間を『生かす価値』があるか」という考え方は、個人の価値を功利主義的な観点から判断しようとするものです。つまり、その人の年齢、職業、社会貢献度などによって、生かす価値があるかどうかを判断しようとするのです。
しかし、このような考え方は、個人の尊厳を軽視しているという批判もあります。なぜなら、すべての人間は平等な価値を持っており、誰かを犠牲にすることは決して許されないという考え方があるからです。
また、「生かす価値」という基準は非常に曖昧であり、客観的に判断することは困難です。誰にとっての「生かす価値」なのか、誰がその基準を決めるのか、といった問題も残ります。
このように、「その人間を『生かす価値』があるか」という考え方は、功利主義の一つの側面である一方で、非功利主義や個人の尊厳という考え方と対立する側面も持っています。
トロッコ問題には、唯一の「模範解答」は存在しません。それぞれの選択肢には重大な結果が伴うため、様々な視点から慎重に議論する必要があります。
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