「だけど、好き」
声にならない声が、吐息のように抜けていく。聞き返すこともできずに、耳が拾ったそれを反芻する。好き。
「一緒にいるの、案外楽しいわ。相性いいみたい。弟みたいで、お兄さんみたいで、安心できた」
月明りを浴びる彼女は、こちらを向いてはくれない。海と空と、彼女。それだけで一枚の絵画のよう。
「でも、違うのよね。きっと提督が言ったのは、もっと……もっと近いものでしょう。……想像したらね、夢の中の私、笑顔だったの」
波の音は絶え間ない。彼女の瞳にはそれが映っているんだろうか。そのきれいな瞳には。斜め後ろからでは見えない瞳には。
「『白露型』としての私は、もちろん好き。誇りよ。『古株』として、いつも頼ってくれるのも嬉しかった」
風は弱く、穏やかになった。雲は薄く、星はまばゆく、彼女の髪は控えめに揺れる。
「でも貴方は、『私』がいいって、言ってくれたのね」
「はい。村雨ちゃんと一緒が、いい」
「……嬉しいっ」
振り向いた彼女は、今まで見たことのないような笑顔で、誰よりも美しい涙の粒を湛えていた。見惚れる僕へそのまま飛び込んできて、僕は抱きしめるのが精いっぱい。
熱が伝わる。熱を伝える。鼓動と、涙の粒が混じりあう。視線が合えば、あまりの近さに赤くなるけれど、逃げ場はない。引き合うだけ。宝石のような一瞬。二度以上は、今の僕らには危険な蜜。お互いにそう思って、片手だけを繋いで離れた。だけど、分かち合った全ては、遍く心と体に宿っている。言葉にしなくてもわかるから、頷いてゆっくり寮に帰る。
いつか、似たような季節に同じことがあったな、とぼんやり思い出すのは、しばらくは後のことだった。
月は高く、波は静かで、星が一筋流れていった。日付はもう、変わっていた。
彼女の指は戦場に出ていたとは思えないほど白く、あの頃のなけなしの俸給で買った簡素な指輪なんて、むしろ邪魔になりそうなほど美しい。もっと綺麗なものを贈ってあげたいと言う度に固辞されている。
僕の指は彼女のように美しいわけではないけれど、不慣れな当時は指輪をつければ落ち着かないところはあった。
戦闘があった。宴会があった。訓練があった。喧嘩があった。仲直りがあった。終戦があった。新しい生活があった。色とりどりの時間が流れた。
その中で僕らは、あの夜から一日たりとも指輪を外していない。きっと、これからもそうなのだろう。
問うまでもなく、そう思えるんだ。
「村雨ちゃん、いつも本当にありがとう」
「なぁに、急に。どういたしまして。ね、―――くん」
「ん?」
「こちらこそ。いつも、ありがとね」
「こちらこそ、どういたしまして」
「うふふ。あ、ワイン来たよ」
「村雨ちゃん。愛してます」
「……えぇ。私も、愛してます。―――くん」
「これからも、よろしく」
「こちらこそ」
「僕らの夢に」
「「乾杯」」
~
「今頃おいしいもん食べてンだろねぇ二人は。ほい、どうぞ」
「おとと。ありがと、江風さん!」
「一年に一度だし、こういうのもいいと思うな。さ、準備はいいですか?」
「もちろんさぁ!早く、肉!肉!」
「こーら、朝霜ちゃん、お野菜も食べないと一番にはなれないからね?」
「そうそう。ちゃんと食べないとお肉焼いてあげないっぽい」
「デザートもなし、だからね」
「うぅ…食べます、野菜もたくさん食べますって」
「ふふ、いいお返事です」
「涼風、君もだからね」
「うぇっ!?流れ弾ッ!?」
「タイマーよし!じゃ、撮りますよ?」
「こけないでね?」
「もうドジっ子じゃないですから!」
かしゃり。