F22063
2025/01/21 (火) 13:07:17
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個人を見る研究がないのは、森先生が行っている研究のように、1人を分析するのに何十年もかかることや、その労力が莫大なことが要因だろう。
個人特有の語りはその個人を入念に分析しないと表れないし、他の人に同じ方法が使えるとも限らない。一般化の出来ない研究は他の人が応用しずらいので、その需要が理解されにくいのではないだろうか。1人の対象にそこまでの時間をかけていられないこともある。臨床の場では一人一人に与えられた時間があるし、司法の場でも公判までという時間制限がある。
労力と時間という観点から、個人についての研究は、重要であれど広まっていかない。
個人を観察し、その語りやコミュニケーションを研究していくには、時間をかけることが許される環境作りが必要になると考える。
何度も取り調べを受け想起を繰り返すと、個人内と個人間の平準化によって直接体験と伝聞体験の形式の差異が薄くなっていく。個人間という観点は、特に子どもの取り調べに大きく関係していると感じた。子どもは、大人の言うことやその反応に影響を受けやすいことが分かっている。取り調べという場で、大人とのコミュニケーションと想起を繰り返せば容易に直接体験と伝聞体験の形式差異がなくなってしまうだろう。このことからも、取り調べは1回で済ませるという考え方が重要になる。
検察官は語り手が直接体験をしたという1種の期待をしていると考えられる。
そうなると、期待効果が働き、取り調べを受ける人の語り口は直接体験に近くなるのだろうか
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ナビゲーション実験の分析に時間がかかっているのは、ひとえに私の都合によるもので、単純に分析が難しいからということではありません。これだけに専念できるならば、幾分早く分析は完了するかと思います。しかしながら、他の分析、たとえば量的データを採取して推測統計を使用するような分析に比べると格段に時間がかかるのは事実です。個人を分析すること自体が妥当だという合意が取れておらず、大半の心理学者は平均値と分散で語りたがります。裁判官も、個別の分析は自分たちの専任事項だと考えている。こういう構造的問題が、個別性の分析へのニーズが起きにくい原因ではないかと思っています。あなたが言われる「環境づくり」として時間的余裕はもちろん入りますが、このような学会の問題と裁判所の問題によって「環境」ができづらくなっている。せめて学会の問題はなんとかすべきと思いますが、個別性へのアプローチはたいてい「解釈」とみなされることが多いのです。臨床のケースレポートみたいな。「あなたの感想ですよね」みたいな反応が多いのです。これにどう抵抗するかが、スキーマアプローチの発想だったのです。
平準化という観点でも、取調べ回数を少なくという提言は支持されますね。検察の期待効果は否定できないと思いますが、期待効果があると直接体験語りに近くなってしまうというのであれば、我々が開発した方法は全く使えなくなりますね。体験の有無だけが語り口に反映されるという前提ですから。
8点差し上げます。