F22027
2025/01/17 (金) 10:28:07
99f72@021cc
一般的にはこうだとされていることに対し、外れている場合には例外に含まれると決めつける前に、その人らしさとして考えることによって、その人の行動や思考などの人物像と捉えられることができると思った。たくさん話すから体験があるわけではないとあるように、言葉の量やストーリー性の深さによって明確性が決められるわけでもないし、信用性が確定付けられるわけではない。また、同様の出来事を体験したとしてもそれぞれ異なる反応が見られるように、スキーマにも個人ごとに差がある。その差がどのようにして形成されたものなのかを考える必要があると思う。しかし、過去に起きた出来事の記憶に対し、新たな出来事や情報が重なることでスキーマも変わることがあると思う。AならばB、BならばAという結果ではなく、どちらかが示された場合に、一方に対しどの程度の信憑性がもてるのかが大事だと考える。
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「例外に含まれると決めつける前に」ではなく、「例外に含まれると決めつけるだけでなく」と言った方がいいかもしれないです。あるいは一般-例外という物言いとは違う思考なので、考え方が根本的に違うことを明示した方がいいかもしれませんね。スキーマには個人差(個性)がありますが、その差がどうして形成されるのかは別に問わなくていいと思います。少なくとも、供述の真偽判別においては。足利事件の動作主交代と動作主連続の話をしていますか? よくわからないですけれども。「スキーマも変わることがある」とはどういう根拠に基づいていますか。
推敲を推奨します。理由は直前の人と同じです。
4点差し上げます。