SA太陽がネイタルチャートの金星に、もしくはSA金星がネイタルチャートの太陽にコンジャンクション(合)するときって、実際どうなんでしょうか?
本来の「私」が顔を出し始める現象の一つと考えてもいいかもしれません。
占星術の時期読みには、「自我の目覚めのタイミング――サターンリターン(28歳前後)、太陽・金星の合、そして中年の危機といったタイミングがいくつかあるわけですが、それは本人が望むかたちではなく、最良のタイミングで起こる成長の機会であり、私はいつもこの機会を「天の岩戸開き」と言っています。
どういうことかというと、天の岩戸が開いて中からアマテラスが出てくるイメージ、自分らしさ=太陽が初めて表に顔を出す機会、自己の目覚めのタイミング、統合の重要な時期となるということです。
でも天体には善悪の判断はないので、どう出てくるか、どう体験するかわかりません。 ネガの体験にも、ポジの体験にもなり得ます。 もちろん、結果、最良の自分を獲得するわけだけれど、そこにたどり着くには、サターンリターン(土星回帰)とか中年の危機とか、何度も何度も殻を破らないといけないのです。
ちなみに、中年の危機とはユングによって研究されていた心理現象の一つであり、占星術の年齢域でいうと火星期(35歳から46歳)が該当します。 この時期、自分でないもの――社会的役割(立派な社会人)、これまでの自己像(よい娘、よい息子、よい父、よい母、楽しい私、おしゃれな私、真面目な私)——が崩れ、本来の自分が顔を出し始めるということですが、そううまく切り替わらないのがこの時期の難しさというわけです。
中年の危機の機会は、それこそ個人の目覚めの段階でとりわけ重要だと考えています。 なぜなら、火星期(35歳から45歳)は個人天体の最終段階に当たるからです。
この時期は、トランスサタニアン(冥王星、海王星、天王星)が次々にネイタルチャートにアタックを開始し、偽りの仮面を一気に叩き壊そうとするのですが、月や火星のガードがあまりに堅いと、なかなか壊れてくれない。 なぜなら、壊れてしまったら、もう二度と自分に嘘がつけなくなるからです。
自分を発見できず生きていくのか、自分という人間を本気で生きていくのか。 個人の勇気が試されるところです。
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本来の「私」が顔を出し始める現象の一つと考えてもいいかもしれません。
占星術の時期読みには、「自我の目覚めのタイミング――サターンリターン(28歳前後)、太陽・金星の合、そして中年の危機といったタイミングがいくつかあるわけですが、それは本人が望むかたちではなく、最良のタイミングで起こる成長の機会であり、私はいつもこの機会を「天の岩戸開き」と言っています。
どういうことかというと、天の岩戸が開いて中からアマテラスが出てくるイメージ、自分らしさ=太陽が初めて表に顔を出す機会、自己の目覚めのタイミング、統合の重要な時期となるということです。
でも天体には善悪の判断はないので、どう出てくるか、どう体験するかわかりません。
ネガの体験にも、ポジの体験にもなり得ます。
もちろん、結果、最良の自分を獲得するわけだけれど、そこにたどり着くには、サターンリターン(土星回帰)とか中年の危機とか、何度も何度も殻を破らないといけないのです。
ちなみに、中年の危機とはユングによって研究されていた心理現象の一つであり、占星術の年齢域でいうと火星期(35歳から46歳)が該当します。
この時期、自分でないもの――社会的役割(立派な社会人)、これまでの自己像(よい娘、よい息子、よい父、よい母、楽しい私、おしゃれな私、真面目な私)——が崩れ、本来の自分が顔を出し始めるということですが、そううまく切り替わらないのがこの時期の難しさというわけです。
中年の危機の機会は、それこそ個人の目覚めの段階でとりわけ重要だと考えています。
なぜなら、火星期(35歳から45歳)は個人天体の最終段階に当たるからです。
この時期は、トランスサタニアン(冥王星、海王星、天王星)が次々にネイタルチャートにアタックを開始し、偽りの仮面を一気に叩き壊そうとするのですが、月や火星のガードがあまりに堅いと、なかなか壊れてくれない。
なぜなら、壊れてしまったら、もう二度と自分に嘘がつけなくなるからです。
自分を発見できず生きていくのか、自分という人間を本気で生きていくのか。
個人の勇気が試されるところです。