『博多めんたい佛教大学』のホワイト・ボードとして活用して行きます。
楽しく仏教を学べる空間をクリエートして参ります。
こちらの知恵袋のボード(掲示板)です。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13308918903
今回は、『大乗起信論』についてです。
成立は、543年~549年頃に真諦訳の漢語本が存在し、著者は馬鳴菩薩となっている。
参考になりそうな論文。
https://toyo.repo.nii.ac.jp/record/9417/files/higashiasiabukkyou4_225-255.pdf
https://otani.repo.nii.ac.jp/record/11393/files/7JI WENJIE.pdf
『大乗起信論』と『勝鬘経』の関係。
『大乗起信論』と『勝鬘経』は、大乗仏教の中で特に如来蔵思想や一乗思想を説く重要な経典・論書であり、思想的に深く結びついています。両者は如来蔵を中心にした仏教哲学の展開において、相補的な役割を果たしています。
『勝鬘経』が如来蔵思想の根本的な枠組みを提示し、『大乗起信論』がそれを理論的に体系化したといえるでしょう。
『大乗起信論』と『勝鬘経』は、如来蔵思想を中心とした大乗仏教の核心的な教えを展開し、理論と実践の両面で密接に関わっています。
如来蔵思想で気を付けなくてはいけないのが外道義の混入です。
『大乗起信論』の中でもそれは顕著に現れております。
それが今回の知恵袋で取り上げております https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13308918903?notice_type=new_ans
『大乗起信論』の次の文句です。
眞如三昧なる者は、見相に住せず得相に住せず、乃至定を出でても亦た懈慢無く、所有る煩悩は漸漸に微薄なり。若し諸の凡夫、此の三昧の法を習わざれば、如來の種性に入るを得ること是の処有ること無し。世間の諸禪三昧を修して多く味著を起こし、我見に依りて三界に繋屬するを以て、外道と共なり。若し善知識の護る所を離れるば、則ち外道の見を起こすが故に。
この時代のインド(7世紀頃)では、仏教は衰退しヒンドゥー教が社会的・文化的に勢力を復興しておりました。特に、アディ・シャンカラ(8世紀)の活躍によるアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)が、仏教の教義に対抗する形で哲学的優位性を主張しました。
不二一元論を唱えたシャンカラ https://ja.wikipedia.org/wiki/シャンカラ
〝不二一元論〟とは、今日では知恵袋でzenさんがしきりに布教しております内容です。
不二一元論 https://ja.wikipedia.org/wiki/不二一元論
空海(弘法大師)さんが中国(当時の唐)に渡って仏教を修学されたのもこの時期です。
「本覚思想」が日本で起こったのもこの時期です。
「本覚思想」って今回取り上げております『大乗起信論』が発端となっている事を皆さんはご存じですか?
『大乗起信論』は馬鳴(アシュヴァゴーシャ)が書いたとされていますが
法蔵によるところが一般的な注釈です。
そこのところをChatGPTに聞いてみました。
質問文: 本覚思想を唱えだしたのは法蔵ですか?
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今回は、『大乗起信論』についてです。
成立は、543年~549年頃に真諦訳の漢語本が存在し、著者は馬鳴菩薩となっている。
参考になりそうな論文。
https://toyo.repo.nii.ac.jp/record/9417/files/higashiasiabukkyou4_225-255.pdf
https://otani.repo.nii.ac.jp/record/11393/files/7JI WENJIE.pdf
『大乗起信論』と『勝鬘経』の関係。
『大乗起信論』と『勝鬘経』は、大乗仏教の中で特に如来蔵思想や一乗思想を説く重要な経典・論書であり、思想的に深く結びついています。両者は如来蔵を中心にした仏教哲学の展開において、相補的な役割を果たしています。
『勝鬘経』が如来蔵思想の根本的な枠組みを提示し、『大乗起信論』がそれを理論的に体系化したといえるでしょう。
『大乗起信論』と『勝鬘経』は、如来蔵思想を中心とした大乗仏教の核心的な教えを展開し、理論と実践の両面で密接に関わっています。
如来蔵思想で気を付けなくてはいけないのが外道義の混入です。
『大乗起信論』の中でもそれは顕著に現れております。
それが今回の知恵袋で取り上げております
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13308918903?notice_type=new_ans
『大乗起信論』の次の文句です。
眞如三昧なる者は、見相に住せず得相に住せず、乃至定を出でても亦た懈慢無く、所有る煩悩は漸漸に微薄なり。若し諸の凡夫、此の三昧の法を習わざれば、如來の種性に入るを得ること是の処有ること無し。世間の諸禪三昧を修して多く味著を起こし、我見に依りて三界に繋屬するを以て、外道と共なり。若し善知識の護る所を離れるば、則ち外道の見を起こすが故に。
この時代のインド(7世紀頃)では、仏教は衰退しヒンドゥー教が社会的・文化的に勢力を復興しておりました。特に、アディ・シャンカラ(8世紀)の活躍によるアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)が、仏教の教義に対抗する形で哲学的優位性を主張しました。
不二一元論を唱えたシャンカラ
https://ja.wikipedia.org/wiki/シャンカラ
〝不二一元論〟とは、今日では知恵袋でzenさんがしきりに布教しております内容です。
不二一元論
https://ja.wikipedia.org/wiki/不二一元論
空海(弘法大師)さんが中国(当時の唐)に渡って仏教を修学されたのもこの時期です。
「本覚思想」が日本で起こったのもこの時期です。
「本覚思想」って今回取り上げております『大乗起信論』が発端となっている事を皆さんはご存じですか?
『大乗起信論』は馬鳴(アシュヴァゴーシャ)が書いたとされていますが
法蔵によるところが一般的な注釈です。
そこのところをChatGPTに聞いてみました。
質問文:
本覚思想を唱えだしたのは法蔵ですか?