おんJ艦これ部Zawazawa支部

おんJ艦これ部町内会 / 219

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村雨の夫 2017/05/24 (水) 11:43:41

家を建てるとき、村雨ちゃんが要望したことのひとつに、書斎、通称執務室の窓のデザインがある。
張り出した、曲線の窓。そしてそこに小さなテーブル。まるでお姫様の小部屋のような作りは、彼女のこだわりだ。
普段はそこでお茶を飲んだり、本を読んだり、何もしなかったり。家事、育児、僕の舵取りと日々苦労の耐えない村雨ちゃんの、プライベートスポット。

~~

「なんとかモノになりそうなのはいいけど、あなた、たまにとっても怖い顔してる。こーーんな!」
「そりゃ、村雨は小説書くのは詳しくないし、大変さはわからないけど……やっぱり、心配だわ」
「だから、たまに様子を見に来ることにします。そのためのスペース」
「もし、村雨がここにいなくても……一階で家事をしてても、あなたがつらくなったら、この窓辺を見て私を思い出してね」

実際にこの家を建てるずっと前、まだ朝霜がお腹にもいなかった頃に、将来を見据えた夢物語を描いた(白露義姉さんに「いずれ11人暮らしを出て夫婦の家を建てるんだからデザインして損はない」と言いくるめられた)とき、彼女はそんなことを言っていた。
付け足した「家事をしていても」。その本意は、聞き質しはしなかったけれど、わかる。当時はまだ、戦争が終わり軍を離れて、「艦娘というもの」がこれからどうなるか不安定な時期だった。
肉体的に少女、女性であるとはいえ、しかし一度は艦娘だった存在が「入渠」をはじめとするケアを受けなくなったらどうなるのか?
PTSD、シェルショック、「艦の記憶」など、精神面での問題もあれば、政府からの補助金があれど金銭問題もある。
法的には一般市民でも、社会からはどう見られる?
あらゆる方面に山積する問題を前に、村雨ちゃんはもしかしたら、婚約を破棄してでも僕の前からいなくなるつもりだったのだろう。

運良く執筆業で軌道に乗り、心身も大きな傷はなく、無事十数年を平和に過ごしている。言祝ぐべきことではある、けれどそれは結果論で、僕はあの日の彼女の寂しげな眼と声を忘れることができない。
あの瞬間、なぜ何も言ってあげられなかったのだろう。

小さく張り出した窓。書斎の一角。鎮守府以前、少年時代の初めての絵本から、「光埼にありて君を待つ」の見本まで、あらゆるものが詰め込まれた世界の中で、いかなる時も平和を保つそこに、今彼女の姿はない。一階で娘たちと話しながら夕食の準備をしている。
「……よし、よし」
昼間、彼女はここで鼻歌を歌いながらスケッチブックを開いていた。講演の話が決まり、その夜には飛龍さん、お衣経由で雲龍さんも参加することが伝えられて喜んだ村雨ちゃんは、手芸の新作を作るつもりらしい。
村雨ちゃんは手先が器用で、絵も描ければ裁縫もできる。何よりオシャレなので、講演やサイン会の時には何かと気を回してくれる。センスもなければ専属の人もいない僕にとっては本当にありがたい。その一環として、ブローチやちょっとしたアクセサリーを作ってくれることがある。
普段は娘や妹のために振るわれるその腕が、楽し気なその目が僕の方に向かうとき、楽し気な彼女の姿が一層輝いて見えるのは、現金で欲張りだろうか。
綺麗に片づけられたスケッチブックを、小さなランプの明かりで観る。なるほど、光と波をイメージしたデザイン。ふむ、流石のセンスだ、素敵だね。
そしてこっちは……ちょっと僕がつけるには可愛すぎないか。どう見ても女性向けだけど、村雨ちゃんの分は僕のやつの隣にペアで書いてあったし、朝霜や睦月がつけるには大人っぽい。……あぁ、なるほど。雲龍さん夫妻の分か。こっちもペアで描いてある。まだラフ画だけど、気に入ってもらえるといいな。

スケッチブックをしまい、代わりにひとつ、手の物を置く。ピンクの便箋の封はハート形。レジを打ったピンク髪の義妹に口止めしたので、村雨ちゃんはこの買い物を知らないはず。
あまりにあからさま。せめて、便箋は青とか緑とか、他の用事に使えそうな色にすればよかったかな。つい、苦笑いしてしまう。彼女は見つけたらどんな顔をするだろう?
5月23日。恋文の日。

「あなたー、ご飯出来たよー」
「はいはーい」
呼び声に応えて、階段を下りる。今夜、彼女が部屋に入るように、わざとドアを少しだけ開けて。

――5月23日はキスの日でもあったことを、この数時間後思い知らされるのであった。

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