仏教のお話

Rの会:法華経序品第一 / 14

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ダルマ太郎 2024/04/14 (日) 23:15:53 >> 13

廻向(えこう)
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初期仏教・部派仏教では、業報輪廻を説き、自業自得であることを教えました。自分がしたことは、自分が受け取るということです。これは、徹底した自己責任であり、他者のせいにはできないシステムです。過去の業報も現在の果報になるというのなら、今の環境を変えるために、何をすればいいのかが分かりません。善行を積み、来世に期待するしかないのでしょうか。病気・障害・貧困などがあれば、前世の結果だと後ろ指をさす人もいます。本当に前世の業によってハンディを持つのでしょうか? もしそうならば、この世界は弱者にとっては苦に満ちた世界です。
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業報を否定したのが、廻向です。廻向(回向)とは、パリナーマナー pariṇāmanā の中国語訳です。変換・変化・転回などの意味です。自分が為した善行の功徳を自身の覚りにふり向けたり、他者の救済・覚りにふり向けることをいいます。自業によって、他者を救いへと導くのですから、自業自得を説く業報輪廻とは思想が異なります。初期仏教にも似たような思想があったようですが、この考え方が顕著になったのは大乗仏教においてです。自分の功徳を他者に振り向けることで、他者を救うという大乗思想が成立しています。善行は廻向できますが、悪業はできません。自分が悪いことをして、それを他者に振り向けるということはありません。
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空においては、業も業報も輪廻もすべては無自性です。実体は有りませんから、執着する対象がありません。廻向もまた実体は有りません。実体が無いので、自業自得と言うように固定して観ません。善・悪・楽・苦というものもありません。すべては、仮に名前が付けられているだけであって、実体の無いものです。そういう概念に執着せず、真理に従って行動することが求められます。しかし、真理が何なのかが凡夫には分からないので、八正道・六波羅蜜を実践するわけです。
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廻向が概念だとしても、業報輪廻を信じるよりはましです。業報輪廻は、救いようのない思想ですが、廻向を信じれば、菩薩道を歩むことができます。
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