仏教のお話

Rの会:無量義経 / 30

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ダルマ太郎 2024/03/26 (火) 22:35:10 修正

無量義経 十功徳品第三

無量義経 十功徳品第三

流通分

無量義経は、三章構成です。第一章の「徳行品」が序分、「説法品第二」が正宗分、「十功徳品第三」が流通分に当たります。流通とは、パルヤヴァダーパイトル paryavadāpayitṛ の中国語訳であり、「途切れることも止まることもなく、継続的に流れるという意味」です。川の流れのように、教えを切らさず、滞らさずに広めることをいいます。よって流通分では、正宗分で説かれた内容を弟子たちが受持し、仏が弟子たちに広宣流布を委ね、弟子たちがそれを誓願します。その時、仏は、その教えの功徳を明かすことで弟子たちを鼓舞します。十功徳品でも功徳が主に伝えられています。
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功徳(くどく)

グゥナ guṇa = 徳、美徳、才能、性質
プゥニャ puṇya = 清い、清浄な、善行
優れた美徳、貴重な品質。自分の善行に応じて蓄積されるもの

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流通分の重要さ

~われわれ凡夫は尊い教えを聞くとその当座は、なるほどと深く感銘します。その教えを実践してゆきたいという気持にもなります。しかし、よほどの人でない限りその気持ちはしっかりと固まったものではなく、何か身辺に面白くない変化が起こると、つい教えられたことを忘れて、怒ったり、驚いたり、悲しんだり、悩んだりしがちです。ですから、われわれ凡夫は、教えを聞いたらどんなことがあっても、教えを放さないという決定(けつじょう)を起こさなければなりません。そのためには、この教えにつかまっておれば、どんなことがあっても大丈夫だ! という確信がなければなりません。その確信を心に植え付けるために説かれるのが〈流通分〉です。
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心が環境を変える

~われわれの人生途上にはさまざまな変化が起こります。真実の教えを知らない者は、その千差万別の現象・変化に引きずり回されて、心の安まりはありません。環境にどのような変化が起ころうとも究極の真理(本仏)に生かされているのだという安心感をもって悠々としておれば、どのようなことが起こっても動ぜずに適切な判断にしたがって行動できますから、境遇は必ず好転するようになるのです。

~この世のすべては仏教の根本の教えである〈縁起の法則〉が説き示しているように、因と縁の和合によって変化していくものなのです。ですから自分がどのような因となり、縁となっていくかによって、自分をとりまく環境はどのようにでもかわるのです。つまり、私たちは仏さまの「智慧・慈悲」を身につけて、〈千変万化する現象もすべて自分がその因となり縁となっているのだから、自分が良い方向に行くことを念じ、努力を続けていけば必ず物事は良くなっていくのだ〉と確信し、行動することが第一なのです。まさしく〈三界は唯心の所現〉なのです。それを困難なことに出合うと、すぐに難しいことだからこそ、環境を変えることなど不可能だとあきらめてしまうのは、われわれが小さな我にとらわれているからにほかならないのです。もしわれわれが本当に仏さまと相通ずる心を持つことができ、仏さまのお心の如くに行動することができるようになれば、その程度に応じて、確かに環境を変えることができるのです。
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~この解説を読むと、物事には、善いことと悪いことが有るということが前提になっているようです。善いとか悪いというのは、分別による見方なので、真理においてはそのような区別はありません。性相空寂です。真理と事象には、実体が無く、縁起から離れていますので安楽の境地です。これは因である、これは縁である、これは果である、と固定的に観るのも分別ですから、真理を知ろうとするのなら、そういう思考からも離れたほうがいいでしょう。せっかく説法品で性相空寂を学んだのですから、それを活かした方がいいように思います。
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三界は唯心の所現

~「三界唯心」とは、華厳経に出てくる言葉であり、三界における事象は個々の心が作っていると観る教えです。後の唯識に大きな影響を与えています。三界とは、仏教の世界観で、生きとし生けるものが生死(輪廻)を繰り返し、苦しみ多き迷いの生存領域を分類したもので、欲界(よくかい)、色界(しきかい)、無色界(むしきかい)の3種を指します。つまり、凡夫の世界です。凡夫の世界は、実は個人が心で描いているのであって、実在する世界とは異なります。このことに気づくためには、深く瞑想をし、思惟する必要があるのであって、簡単に気づけることではありません。無量義経だけでも難しいのに、華厳経まで取り上げると聞く者は混乱してしまうのではないでしょうか?
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    ダルマ太郎 2024/04/08 (月) 12:24:43 >> 30

    無量義の教えを讃嘆する

    爾の時に大荘厳菩薩摩訶薩、復仏に白して言さく。世尊、世尊是の微妙甚深無上大乗無量義経を説きたもう。真実甚深甚深甚深なり。

    『無量義の教え』を聞いて心から感動した大荘厳菩薩は、仏さまに感激と御礼を申し上げます。「世尊。よくぞこの奥深い大乗の教えである『無量義経』をお説きくださいました。この教えは誠に絶対真実の教えであり、この上もなく尊く、深遠な教えであります。
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    所利益の人を挙げて、能利益の経を讃嘆する

    所以は何ん、此の衆の中に於て、諸の菩薩摩訶薩及び諸の四衆・天・龍・鬼神・国王・臣民・諸有の衆生、是の甚深無上大乗無量義経を聞いて、陀羅尼門・三法・四果・菩提の心を獲得せざることなし。当に知るべし、此の法は文理真正なり、尊にして過上なし。三世諸仏の守護したもう所なり。衆魔群道、得入することあることなし。一切の邪見生死に壊敗せられず。所以は何ん、一たび聞けば能く一切の法を持つが故に。

    なぜならば、この法を聴聞した出家・在家の修行者をはじめ鬼神、国王やその家来、一般の人々、そして菩薩に至る全ての者たちは、極めて高い信仰の境地を得ることができました。そして、無上の悟りを求める心を起こさない者は一人としていませんでした。この教えは真実であって正しく、これ以上尊いものは他にはありません。そして、過去・現在・未来の三世の諸仏がお守りくださるものであります。そしてどんな妨害や間違った考え、その他の様々な教えも、この教えを侵すことはできません。この教えは一切の誤った考えや、人生途上におけるどんな『出来事』、この世の一切の『変化』にも動揺し、打ち負かされることはありません。なぜなら、この教えをひとたび聞けば、この世のすべての出来事・ありようが完璧に分かり、どんな場合にも正しく対応することがでるようになるからです。
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    得分の益を挙げて、未聞の失を示す

    若し衆生あって是の経を聞くことを得るは、則ち為れ大利なり。所以は何ん、若し能く修行すれば必ず疾く無上菩提を成ずることを得ればなり。其れ衆生あって聞くことを得ざる者は、当に知るべし、是等は為れ大利を失えるなり。無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず。所以は何ん、菩提の大直道を知らざるが故に、険径を行くに留難多きが故に。

    この教えを聞けば、即座に大きな功徳を得ることができ、教え通り修行すれば、真っすぐに仏の悟りを得ること出来るようになります。反対にこの教えを聞くことが出来ないと、大きな利益を失うことになります。その人は無限の時間をかけても、ついに仏の悟りを得ることは出来ません。そればかりか、人生の大きなまわり道をすることになり、険しい苦難の道をさまようことになります。
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    菩薩の発問

    世尊、是の経典は不可思議なり。唯願わくは世尊、広く大衆の為に慈哀して是の経の甚深不思議の事を敷演したまえ。世尊、是の経典は何れの所よりか来たり、去って何れの所にか至り、住って何れの所にか住する。乃ち是の如き無量の功徳不思議の力あって、衆をして疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ぜしめたもうや。

    ですから世尊よ、どうか私たちを憐れとお考えくださり、この奥深い教えが広く人々のなかに留まるよう、この教えの『実践』の面から具体的にお教え下さい。世尊。お伺いしたいことがあります。この教えは一体『どこから来たもの』であり、そして『どこへ向かうための教え』、『何を目的とした教え』でしょうか? また、この教えは『どこに留まるもの』であり、『どのような者が教え理解できるのか』。この三つのことをお教えください。このことを理解できれば、この教えの功徳がどれほど優れているのかが分かりますので、人々は真っ直ぐに最高の悟りを得ることができることでしょう。
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