山木康世YY掲示板「風のアホウドリ」

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チーバくみこ 2023/09/18 (月) 01:32:58

☆大田区インテリジェントスペース神楽 その1

JR蒲田駅では、映画『蒲田行進曲』の主題歌が、発車メロディーになっていました。
開演前、終わっているはずのお隣の工事の音が響いていて、マネージャー小林さんがお願いに行ってくださったそうで、
開演の午後3時半には音が止みました。
「今日は大田区蒲田。 功を奏して、小林さんの恫喝で(笑) ちょっと言って来てーって。
工事の人はねー、恐れをなして(笑) 3時半きっかり、大したもんですねー。
最後まで2時間くらい、よろしくお願いします。」(拍手)

「東北の方2200キロ。 なかなかいい、猛暑の東北でしたがね。 こっちの方と変わらずエアコンが売れてるって。
北海道の方もね、うそだろー?ってくらい暑くて。」

『ウスバカゲロウ』
「『ウスバカ ゲロウ』って言って、ひんしゅく買ってましたね(笑) 言ってんのは僕だけかも知れないね。
生きるも地獄、死ぬも地獄、蟻地獄。
ある時、秋口なんですが、マンションのごみ箱の中から出て来たんですね。 隣の冷蔵庫の冷気に誘われて来たのかな?
夏場どこにいたんだろう? どっから来たんだろう?って。 さすがに視点が違う。(←自画自賛)」(拍手)

『二人が』
「32才だったと思いますが。 札幌に30才の時移り住んだんですが。 プロになって6年。
行啓グランドハイツで作った歌で。 1回目は高原マンション。 2年経ったら更新があって行啓グランドハイツ。
ここで『星は天から大地』とか『風薫る五月』とか『YABO』なんかも作った。
この頃、30代になったばかりですからね。 何かこう、未来に向かって一生懸命生きてたなー。
下に喫茶店があって、スポーツ紙見ながらコーヒー飲んで。 その頃まだタバコ吸ってたですからね。
嫌がってたお客さんもいたと思いますが。
若いっていうのは、明日が見えないっていうのがいいですね。 1年があっという間に。 
ツアーが年に2回。 1回70~80本ですかね。 それで1年が過ぎるっていうか。
ふきのとうは、どういうイメージで世間に定着しているのか。 他にもたくさんグループがあった中、
生き残れてるっていうのが。 音楽として消えずに残ってる。」

「50年やって来て。 ソロになった時は、払拭しようとずいぶん思ったですね。 新しいものを作ってって。
お客さんが一回りして、おばあさんが聴いてたのをお孫さんが聴いて、3世代に渡ると、
どういう感じで愛唱されるのかなー?って。
お孫さんが10代20代になって、ライブに行ってみたいなーって。 それまでシャキっとしていなきゃ。
そのうち海外でいいなってなって、逆輸入とか。 それがおもしろくてやってるわけですが。
(ふきのとうに?)決してしがみついてないですよ。 僕の中でふきのとうのイメージ『影法師』」

『空いっぱいの星』
「ソロになって作った歌。 どっかふきのとうの、細坪のボーカルを意識して作って、ソロになりたての頃に。」

『野良犬HOBOの唄』
「1979年の秋、南青山ベルコモンズと246の通りで、野良犬HOBOに会った。
これから引っ越しするんだよー。 連れて行けなくてごめんねー。 思い出に残る交差点で。
第一勧銀で、初めて通帳作ったんですよ。 デビューして2年くらい経って。 社長に言われて。
忙しくて、あっちゃこっちゃ行ってて。 最初に1000円入れたんですよ。 通帳、今でも全部持ってますね。」

山木さんから、今だから話せるあの頃の話みたいのがたくさん聴けて、嬉しいですね。
今回メモ取れたので、いつもよりちょびっと多めに書けてます。 その2へ続く。

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