ガッチャードレス20(第10話)『加治木ハンパない危機一発』(違)その4
>> 1383
>> 1373
東映の公式サイトによると、今回ラストの「出会い直し」のシーンは初期の脚本には無かったって?
ベーエムがアップデートしている!(今回1番の驚き)
この辺は私はまだ読んでなかったぞ!(笑)
深黄泉さんのアドバイスのおかげで色々と鍛えられました。 ありがとうございます。
ならば、このくだりもご覧になったいると思うので引用しますが、東映サイトには…
命があるからこそ、動き、変形し、融和できる。
「ケミー」とは、そんな錬金術の究極であり
その特性の集合体。
命あるものの、他者(外界)と交わるという本質。
そういうわけで「マルガム」化というリスクも生まれてしまったのですね。
基本、人間とケミーが錬成されるとき
その関係は「一対一対応」が原則です。
それが悪くなればマルガムに、良くなれば5話のアサヒGのように。
その単体錬成に比べて
「ガッチャードライバー」だけが
2種以上のケミーの力を完全に融け合わせた
「人とケミーの完全多重錬成」を可能にさせているのです。
一方、9話で
ラケシスのクローバーマルガムが「バンバンブー」を
もっといえばヴァルバラドも2枚以上のカードを使っておりますが
これはあくまで、表面的なもの。
融け合うのではなく単に付け加えていく
いわば「装備」的な考え方であり
やはり完全融和には至っていないようです。
…とあり、ガッチャード、ヴァルバラド、マルガムの錬成の違いに書いてありますね。
また、ケミーの意識もガッチャンコすると「完全融和」するので主たるホークンの意識しか残らないのかも?
完全融和してケミーの意識だけが消え去る設定だとしたら、やっぱり”友達”である筈のケミーの能力を事実上道具として使ってるような構図に・・・?
かといって、完全融和してホークンとケミーの意識が一つになっている設定だとしたら、自分で自分に「耐えてくれ!」なんて話しかけるのはおかしいし・・・うーむ? どっちなんだい!
まあパワーアップして突然人語を話す可能性もありますが…
現状、【変身する際に用いられたケミーは(第5話のような特殊な状況にならない限り)一切しゃべらなくなる】との設定の縛りが、毎回演出上の足枷になっている印象はぬぐえません。
この設定のせいで、第8話では【サボ助の魅せ場を作るためにわざわざ
【主人公とケミーたちの絆】が作品の大きなテーマのひとつであるにもかかわらず、そのケミーとガッチャンコしている最中は一切のコミュニケーションが取れず、ケミーの存在感がほぼゼロになる、という足枷はさすがにどうかと・・・
まあ逆に、ここまで設定にこだわり続けている点を踏まえると、今後何らかの新たな展開(パワーアップを機に変身中のホークンとケミーがきちんとコミュニケーションを取れるようになるとか)が控えている可能性も?
というか、この足枷を抱えたままホークンとケミーの薄い友情描写が最終回まで延々と続くようだと正直厳しいので、できれば何らかのテコ入れをしてもらえればなあ、とも思ったり。