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昔というほどでもない昔。
まだ青の景色に赤と黒が混じり合っていた時代。
とある鎮守府に着任した一人の若い提督がいました。
新人提督のもとには、頑張り屋の駆逐艦娘、優しい軽巡洋艦娘に続いて、おしゃれな駆逐艦娘が参列しました。
提督は、まとめ役になってくれそうな子が来てくれてよかったなぁとだけ思いました。
月が何度満ちて欠けたか、初めての秋。青年は提督宿舎で泣いていました。
成り行きで提督になった自分が彼女たちの命を背負ってもいいのだろうか。
自分の采配は、能力は、正しく彼女たちを活かせているのだろうか。
だんだんと大きくなる艦隊、苛酷になる海に、彼女たちのために何ができるのだろうか。
彼女たちを大切に思い、彼女たちを信じ、自分だけは信じられない。
自分が提督でいいのか、彼女たちには不釣り合いなのではと、不安に駆られる日々を過ごしていました。
ひとしきり泣いたあと、提督が顔を上げると、そこにはおしゃれな駆逐艦娘がいました。
提督は、まずそこに彼女がいたことに驚き、次に涙を見せたことを恥じました。
艦娘は、何も言わず、ただ提督の手を取って微笑みました。優しい微笑みでした。
提督は、自分より一回りも二回りも小さな艦娘に赦されて、ただ抱きしめることしかできませんでした。
数十の艦娘を指揮すること。長として鎮守府を治めること。
艤装を持って海を駆ること。艤装を持たずして隠密行動をしてのけたこと。
提督と艦娘としてのすべては、狭い洗面所には介在しません。
青年は、腕の中の温もりを感じ、彼女を少女として愛おしく思いました。
少女は、初めこそ驚き、少しだけもがいたものの、静かに身を任せていました。
一瞬のようで、永遠のようで、そこにはただ二人がいるだけでした。
そして、それから数年か、数か月か、数日か、数時間をかけて。
おしゃれな駆逐艦少女は、青年提督にとっての特別になっていくのでした。
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「あ、おかえり」
僕の仕事部屋、別名「執務室」の原稿机、そのモニタの向こうから栗色の髪が覗いている。
飲み物を取りに行った隙に、書きかけの原稿を見られてしまったようだ。正直気恥ずかしい。
「ねぇ、これって…」
「ん、そうだよ。あの時の話」
「なんでこんなの書いてるのよー」
顔を赤らめて抗議をしてくる。かわいいなぁと思いつつ、飲みかけの麦茶を渡す。
誤魔化されてるとでも思ったのだろうか、ちょっとむっとしながら、それでも飲む姿まで可愛らしい。
「いやね、この前お嬢様に馴れ初めを教えてほしいって言われてね。でも話しそびれちゃったし、短編にでもしようかと」
「……また話しに行けばいいんじゃないの?お月見とかでお泊り会とかさ」
「それもいいよね。執事さんと話してみるよ。…でもせっかく文筆業やってるんだしさ、セールスも兼ねてね?」
「そんなことしてる暇あったら本業を書いてよ~…」
「まーまー、たまには昔を思い出してもいいんじゃない?」
「ああ言えばこう言う…もう、困るんですけどぉ」
机に突っ伏しての上目遣い。娘たちの前ではあんまり見せない表情で、これもまた魅力的だ。
「ごめんごめん」
「で?これで終わり?終わりよね?」
「んー、そうだね。これ以上は」
「「ふたりだけのひみつ」」
口づけを交わして、微笑みあう。
「そうだ、今晩は、秋刀魚にしよっか」
「旬には早いわよ?」
「ありゃま、それもそうか」
「…食べなおさなくても、忘れないわ」
「僕もだよ。…奢りの痛みも」
「うふふ、あの時はごちそうさまでした」
「これからも食べさせていけるように、頑張ります」
「あの子たちの分も、がんばってね。あなた」
始まりを思い返して、これからを思い直す。
決意新たに、新たな季節へ。
「で、どうやって贈るの?」
「手作りで製本する方法は見つけてあるから、絵本っぽくしてみようかと」
「絵は?」
「お願いしていい?」
「はいはーい。そんなことだろうと。かっこよく描いてあげるからね」
「ほどほどでお願いね?村雨ちゃんはそのままでかわいいからそれでいいけど」
「もう!」