レイモン・ドメネク
1952年生まれ、フランス・リヨン出身のカタルーニャ系フランス人サッカー選手、指導者。選手としてはリヨンなどでプレー、
FCミュルーズで選手兼監督として指導者となり指導者の道を歩み始めた。1993年にフランス代表ユースチームの監督に就任、
10年間に渡って多くの選手を育て上げアトランタオリンピックの代表監督も務めたが、1つのタイトルも取れなかった。
しかし2004年にフランス代表監督に就任、一度は代表引退を表明していたジネディーヌ・ジダンに代表復帰を要請し、
選手の選考を占星術に従ったと答えるなどその手腕が危ぶまれたがジダンのリーダーシップもありドイツW杯は準優勝となった
(なおイタリアとの決勝の延長戦でジダンはあの「頭突き」事件を起こし一発退場を食らっている)。
そして2010年まで代表監督の任期が延長され、ここでも代表引退を表明していた選手を強引に呼び戻すなどするが相変わらず
その采配や選手選考に疑問符が叫ばれていた。EURO2008ではグループリーグ最下位に終わり、チーム選手同士の大喧嘩が
発生したり、「今後の予定は?」と記者に聞かれ、ドメネクの辞任を期待していた記者に帰ってきたのは既に彼の子供を
産んでいる女性と結婚するというプロポーズ表明で、フランス中から大バッシングを受ける。
ドメネクの留任で代表を辞退する選手も何人かいたが、南アフリカW杯は苦戦しながらもなんとか予選突破(ただし
プレーオフの決勝点がティエリ・アンリのハンドによるもので物議を醸している)。そして本大会直前の代表合宿で
親睦のため自転車タイムトライアル、バギーレースを開催、バギーレース中に選手の一人があわや大怪我の横転事故を
起こしたため箝口令代わりに選手たちが新聞やテレビなどのメディアを見ることを禁止。そして本大会で選手の一人
ニコラ・アネルカが2戦目のメキシコ戦で監督に暴言を吐き代表を追われるも、他選手達が練習をボイコットするなど
ニコラ・サルコジ仏大統領が事態の収拾を命じるほどのチーム崩壊に陥り、3戦目の南アフリカ戦でも敗北し、
試合後に相手のカルロス・アルベルト・パレイラ監督との握手拒否をしてパレイラからも「哀れな奴」と批判され、
ドメネクは代表監督を「解任」された。その後ドメネクは職安通いを目撃されたり、フランスサッカー連盟に
退職金を求める訴訟を起こす(のち和解)。しかしその後もブルターニュ代表監督、FCナントの監督を歴任している
(FCナントでは8戦で1勝もできず解任)。
そのドメネクは暴露本『独白』を出版しており、代表監督時代の選手たちの悪口をこれでもかと書きまくっている。
若林様:
本当に申し訳ありません。廊下は扉開けていいと言われましたが、あそこ廊下の中はあまり涼しくないので気になる次第です。
とりあえず当日はどうぞよろしくお願いいたします。
来期は星屑テレパスがあり、ゆるキャン△3期の放映が2024年と告知されヤマノススメのエイトビットが制作会社となるなど
少し動きがあるきららアニメです。来月はたぶんぼざろがきららMAXの表紙と思われるので(8月に単行本6巻発売)、
今度こそ2期告知あるといいなと。