徐庶
じょしょ。2~3世紀の中国後漢末期から三国時代の武将・政治家。字は元直。本名は
「徐福」であり晩年に徐庶と改名した。単家(権勢のない家柄、寒門の意味)の出身。
若い頃に人の敵討ちをして捕らえられるが仲間に救出され、それ以降剣を捨て学問に励む。
黄巾の乱等で世が乱れると石韜と共に荊州へ移住し、司馬徽の門下生となった。
諸葛亮、孟建らと特に親しくなり、諸葛亮は徐庶や孟建や石韜に対し「仕官すれば
州刺史か郡太守くらいにはなれるだろう」と言ったが、自分の事は言わなかった。
その後荊州新野に居た劉備に諸葛亮を推薦、招聘でなくこちらから出向くことを勧め
劉備は諸葛亮を三顧の礼で迎え入れた。後に劉備が曹操に敗れた際、徐庶の母が曹操に
捕らえられたため徐庶は劉備に別れを告げて曹操に出仕した。後漢を継承した魏
(曹操の子曹丕が建国)では彭城国の相、右中郎将、御史中丞となったが晩年は彭城国の相に
戻った。諸葛亮は文書で何度かこの徐庶に言及してその人柄を称えている。徐庶と石韜の
魏での官職を知って「魏は人が多いのか、どうしてこの二人はもっと用いられないのか」と
言った話がある。諸葛亮の没年(234年)前後に亡くなったとされる。
『三国志演義』では単家出身から「単福」という偽名を名乗り劉備の軍師となるが、
母を曹操に人質に取られたため曹操に降り、別れ際に諸葛亮を推薦。母は徐庶の変節を知って
自害し、徐庶は曹操のために策を立てまいと誓い、赤壁の戦いの直前に同じ司馬徽門下の
龐統の進言で陣を離れ、赤壁の大敗を逃れている。
若林様:
まあそんなわけで楽しみな作品であります。スロウスタート展が表参道で開催予定ですが
その前にやるのが好都合セミフレンドの作者の千種みのり先生の展示会です。
高名な先生なだけに今度こそ連載化を期待しています。
ヒミツ結社りとる・ばたふらいの作者は、5、6年くらい前にきらら本誌でゲスト掲載しており
結構味のある作品だと思っており、こちらもできれば連載化して欲しいと期待したいです。
ごきチャの前にもゲストがあったとは知りませんでした🐱
そして出張お疲れ様です。