F22063
2024/10/11 (金) 11:45:26
ae643@23b32
今回の講義を聞いて感じたことは、情状酌量は誰のためにあるのだろうという疑問である。
情状酌量は、被告人の環境に着目し、その犯罪が本人の内因のみから来るものではないとするものである。情状酌量があれば被告人の罪は軽くなるだろうし、社会に属する人間として法を用いることもできる制度だろう。
しかし、男性による上司の殺害への判決を聞くと、本人の生育歴が軽んじられており、裁判官の心象が判決に反映されているように感じた。
裁判官も人間である。それゆえに、犯行の残忍さや、男性の発言が強く印象に残ってしまった。そして、そんな事をする男性の人間性が極悪であり、男性の過ごしてきた環境は「起こした事件に比べたら大したことは無い」と判断してしまったのではないだろうか。
裁判員制度も、犯人の環境よりも事件の凄惨さに視点がいきがちになってしまうように感じる。
犯した罪は変えられないし、償う必要はある。だが、裁判官の心象に左右されずに情状酌量を行うことが法の下の平等であると考えた。
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法学的に議論するのも面白いですが、心理学的な立場から見てどう思いますか。情状酌量を心理学者が主張したのですが。心理学的な根拠に基づいて。
4点差し上げます。