F22062
2024/10/08 (火) 15:33:55
a4e4d@d77e9
刑事司法と司法臨床の発想の違いで単純因果論的、システム論的とありましたがシステム論的に考えると量刑が軽くなるのではないですか。事件の動機から考えて最終的に幼少期の体験につながることになると被告人の体験が悲惨だった場合、いくらひどい犯罪をしたとしても情状酌量の余地がすごくある状態になると思いました。反対に単純因果論的になると犯罪がどれだけ重いものか、また、その動機になるものだけで情状酌量について考えられたり量刑が決まると考えられます。だからこそ、弁護側は情状鑑定を心理士にお願いするのだと思いますが、こう考えると先生が悲惨な事件について鑑定をしたいと思わないと仰っている意味が自分なりにわかった気がしました。また、システム論的に考えて最終的に事件と関係があるような体験は幼少期や児童期など子供時代につながると思うのです。その時点で、適切なケアがされていれば後に悲惨な事件を起こす確率みたいなものは変わってくるのかなとも思いました。
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自らの責任には帰し難い不遇な人々の自己責任をどこまでと考えるか、結局はここに戻ってくるのではないかと思います。犯罪以外にも当てはまる議論で、例えば、経済的な苦境にある高校生に奨学金を与えるか、自分で稼げと言うか、皆さんにも身近なところに議論の根っこはあります。もちろん、「かわいそう」だけでなく、反省や更生可能性があってこそ酌量は生じるのでありますが。弱者救済という大きな枠組みで考える必要があるかもしれないですね。私の心情は個人的なものが通せる(仕事を引き受ける、引き受けないという形で)心理学者のもので、これが弁護士だったり、臨床家だったりしたら、もっと中立的な考えをしないといけないでしょう。人格的な研鑽が必要だと思います、臨床家は。
7点差し上げます。