「AならばB」のAは「記憶の有(無)」、Bは「語り」です。あなたの立論は、「Aがわかっている」という前提に立脚しています。そもそも裁判の現場では、成り立たない立論です。通常の記憶実験の話としてならわかりますが。
「癖」というのは近似的理解としてはよろしいです。また「手足のパターン」というのは比喩であって、「その人らしさを特定する挙動」が言いたかったことです。
最後の一文は確かにその通りですが、その前の話とどうつながっているのでしょう。
4点差し上げます。
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