24裁判心理学

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F22015 2024/10/01 (火) 16:18:51 f1233@63c3d

犯人であるのに犯人でないという判断を下し、世に犯罪者を放ってしまうことは、国民の期待を背負う警察にとっては大問題かもしれないが、もしその犯人の再犯率が低かった場合問題ないのか。また逆のパターンである、犯人でないのに犯人であるという判断を下された人は「逮捕歴」というスティグマに苦しみ、もしかすると落ちぶれて本当に犯罪に手を染めてしまうかもしれない。そのような場合、それは問題にならないのか。
例えば再犯率が見える神の目のようなものを持つ人が居たとして、警察に逮捕された段階でそれを材料に判断を下せたとしてもその人のその後の環境や人間関係、受けた影響によって再犯率は変動するだろう。
人間がそれだけ流動的である分、臨床的プロファイリングのような勘頼りな一面を持つ捜査方法は向いていないのかもしれない。
一方で、犯人自身の問題・性格(例えばサイコパス。罪の意識が少ない、犯罪への興味関心が勝るなど。)が原因である可能性が高い場合は、エラーにより世に放つ方が危険だ。そのような犯人自身のタイプを分類するのには捜査に関わる人の勘というのは頼りになるだろう。
確かに、科学的根拠や客観性に基づく捜査方法は人間の勘よりも精度が高く思えるが、対人間であるからこそ感じられる違和感があったりするのではないかと思う。どのような捜査方法を用いたとしてもその結果を100%信頼する、または人間の勘を100%信頼するというのは寧ろエラーを引き起こしやすいのではないかと感じた。どちらも掛け合わせることで、対人間に対する情報を整理できるのではないかと考えた。

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    satsugakushinri 2024/10/07 (月) 08:53:30 >> 34

     エラーに関して考慮すべきは、再犯率ではなくむしろ重大性ではないかと思います。「殺人は今回だけ」といって野に放たれても困ります。逮捕がスティグマになるのは、日本の警察が慎重だからで、英国のように51%黒なら逮捕とすればそういうことはなくなるかもしれない。どちらが日本人に合っているのだろう。
     プロファイリングは捜査手法だというのは、それによってある人が犯人かどうかを評価するわけではないということです。「勘頼り」を懸念するなら、捜査手法として精度が高いかという点についてすべきです。犯人識別の方法は、他の証拠に基づいて、裁判で決めることですから。
     捜査手法は人間が実施する限り、人間の「勘」が入ります。データ自体は客観的でも、それをどう捉えるかは人間の勘です。あるテストの「80点」という結果は客観的ですが、「80点だからどうなのか」とか「他のデータとの関連をどう評価すべきか」という部分は勘頼りになると思います。
    5点差し上げます。