F22087
2024/11/21 (木) 12:23:42
a7b12@1aeca
一般的に人はこう行動するはずだという一般論にあてはめて被疑者を見ることが本当にできるのかと思った。検察官や裁判官は被疑者を一般の中の個人として見るのではなく、被疑者の特性や性格、成育歴などから被疑者という個人を見るべきだと思った。また、これは被疑者でけではなく甲山事件の目撃者の園児のようなケースにも適用し、目撃供述を検討するべきだ。
質問です。供述の内容が取調官由来のものであったり、被疑者を誘導していたり、そのようなことばかりだとは思いませんが、そのようなことがあるなら、取り調べをする専門の職業を作ったら良いのではと思うのですが、それは難しいですか?
話を聞いた限りでは検察官は非常に忙しそうで、一つ一つの事件にずっとかまっていられないから、取り調べが杜撰になったり、被疑者や目撃者の特性を考える時間もなかったりするのではないかという印象を受けました。検察の中でも取り調べをを行う担当を分けたら一つ一つの事件に時間が割けるのではないかと思ったのですが、そうしても現状は変わらないのでしょうか?
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個人属性を無視しろと言っているのではなく、個々の特性以前に共通した認知や判断というものが、共通して人には存在しているだろうという仮定が有効かどうかを吟味すべきかと思います。あなたの主張には、相手に再考しないといけないなと思わせる根拠が欠けているように思います。
取調べ専門職を作ることが難しいかどうか、まず考えてみることが必要ですね。検察官の時間不足が原因で供述者個々の特性を吟味することができず、捜査の結果が不適切なものになるという意見のようです。しかし時間があったとしても、供述者の特性を吟味する訓練を検察官が受けていなければ、適切な評価は難しいでしょう。検察官になる人の教育としてどういうものがなされているかを考えてみればよいでしょう。学部時代どういう教育を受けたのでしょうね。司法試験とはどういうことが問われるのでしょう。司法研修ではどういう訓練がなされるのでしょう? このように考えていくと、問題の所在がもっとよくわかってくると思います。自分で問いを探していくこういう営みが、「研究」と呼ばれるのですね。既存の知識や他人の意見を摂取する勉強も大切ですが、大学生なので研究をしてみるとよいと思います。
5点差し上げます。