三村事件での共犯女性の犯行動機について、三村への愛情を隠すために嘘の供述をしたことを評価するのは彼女の主観的価値に踏み込むことになり、かなり難しい問題であると感じた。
「保険金の分け前が欲しかった」という供述を隠すため、「三村への愛情」を嘘の供述として挙げるならまだしも逆のパターンは合理性に欠ける。もし、その嘘に何らかの意味があるとすれば、裁判の判決通り「三村への愛情」が彼女にとって罪が重くなることよりも大きな不利益があるということになる。彼女が「三村への愛情」を明かすことはつまり、悪評高い三村を愛していて、しかもそれが不倫関係であったという世間からのラベリングを認めてしまうことになる。それは、彼女にとって一生涯つきまとうかもしれない評価であり、もし社会復帰が出来たとしても何らかの困難がつきまとう可能性が考えられる。これを避けるためについた嘘が本当にそれだけの価値があるものなのか。また、世間からの評価を彼女が恐れていたとするならば、なぜ彼女は世間体を気にしていたのか。
例えば、母親が不倫による離婚を経験し、社会からの厳しい評価に苦しむ姿を見たことが、被疑者の価値観に影響を与えた可能性がある。
また、犯罪歴が疑われている人物が逮捕され、その関係者まで世間から疑いの目を向けられているニュースが当時報道されて、彼女がそれを目にしていたら、“同じようになるかもしれない”と不安になるだろう。被疑者の主観的価値観の形成背景を分析することで、供述内容の信頼性を判断するための重要な手がかりを得られると考える。具体的には、育った家庭環境や地域性、文化的背景といった要因が供述にどのような影響を与えたのかを探る必要がある。しかし、上述したような“分かりやすく体験に基づいて形成された主観的価値”の他に、人間は“無意識に持ち合わせる主観的価値”もあるだろう。例えば、父方の祖父母宅に行くといつも女性は料理をしていて、男性は全く料理をしなかったため、時代にそぐわないはずの“女性は料理をするものである”という価値観が強かった、などである。特別これといった体験談はなくても、その人が育ってきた環境や周囲の影響によって無意識に形成されていく主観的価値もあると考える。そのため、その人が我慢を美徳とする地域性の中で育ったのか、それとも困ったら人に頼ることをモットーとする地域性で育ったのか、など様々な要因から影響され、主観的価値観を形成しているはずである。そこを分析することで供述が信頼できるかどうかを判断する材料にできるのではないかと考えた。
具体的には、「“三村への愛情”はあなたにとってどのようなものでしたか?」という尋ね方をするなど、オープンクエスチョンを心がけ、それを打ち明けたことで何か不安に思うことは無いか、ということを尋ねることが考えられる。
まさに主観的価値について他者が評価しないといけないので、この分析は難しいです。「普通人は・・・」という経験則に依拠してしまうので、例外が想定できてしまいます。そして複数の解釈が成り立ってしまいます。
あなたの推奨する発問方法だと、供述者が合理的な物語を作ってしまうので、聞き方だけでは信用性を評価できないかもしれない。そのような発問をした上で、他の供述や証拠との矛盾を指摘し、それをどう弁明するかをみる必要がありそうです。
5点差し上げます。