実名報道は何のためにあるのかを考えた時、実名を報道することで世間と被疑者を社会的に切り離すことができ、被疑者が出所した後も生きにくい環境にすることで被害者の無念を晴らすということを果たしているからだと考えた。SNSが普及し特定班となる者も一定数いる中での実名報道は家族構成や被疑者の人生を晒される危険性があるため、心理面でのダメージが大きいといえる。未成年は実名報道をされないが、SNSでは名前を出せという声もみられる。名前を出すことでその人が犯罪をしたという人物名と犯罪が繋がり、特定することができるため世間に安心が生まれるだろう。しかし、被疑者が出所後更生するとなった場合実名報道をしてしまうと世間と切り離してしまうため実名報道の在り方は今一度再検討が必要だと考える。
子どもに司法面接をする場合、ラポール形成やリラックス出来る場を設けるという最低限の配慮は挙げられているが、警察官側がリラックスしている場だとして設けても、親以外の大人がいる場は少なくともリラックス出来る場だとは到底考えられない。大人と子どもは教育する、される関係のためどうしても対等な関係ではなく上下がある関係になってしまうといえる。そのため被誘導性・迎合性は起きてしまうのが普通であり対等な関係で情報採取をするというのは難しいといえる。被誘導性・迎合性を少しでも減らすためにはクライアントとの面接のように回数を重ね、完全にラポール形成ができてから情報採取をすることで子どもから本当のことを聞き出せるかもしれない。
授業内で質問をしたかったのですが時間になってしまいできなかったためここで質問させて頂きます。
子どもへの司法面接において、原則1回の面接で情報採取を行いますが聞き逃したことがあり2回目の司法面接をするとなると、1回目と2回目の情報は記憶の曖昧などを考慮すると信用度は異なるものでしょうか。
実名報道がどういう効果を持つかは諸説あると思いますが、行為に対する罰という機能があるとしたらそれは司法が行なうべきで、報道機関がそれを行なうのは「私刑」というやつです。更生も困難になるし、そのことで再犯ということになれば一般国民の不利益となります。
ラポール形成に十分時間がかけられればいいのですが、記憶に基づく情報採取は時間との戦いなのでゆっくりしているわけにはいかない。ところで、司法面接で行なわれているラポールの取り方が十分ではないというのは感想に過ぎません。十分か十分でないかは、データをとって判断すべき事項です。研究者-実践家モデルが推奨されているはずですから、印象や感想に基づくのではなく(それらが正しい場合ももちろんありますけれど)、どしたら客観的に明らかになるのかをまず考えた方がいいと思います。
2回目の面接が時間的にどれぐらい経過しているか、1回目と重複した質問をしているか、質問の形式は何かによって評価は変わってくると思われます。
5点差し上げます。