知佳
2024/12/29 (日) 16:15:03
27dad@909a7
帰郷
中山峠は尼子家が滅亡へとひた走った一時期、要害山とも呼ばれており、幾たびもこの地を巡って毛利家との間で争奪戦が繰り広げられた。 この地を治めていた富田尼子は物流を断ってまでも富田の地を守るべく命運をかけこの地に関所を設けた。尼子家の情勢を探るべく忍び込む素っ破(すっぱ)・素っ破(らっぱ)の類を見分けるためだ。
したがって集落のはずれ、峠の入り口には麓の布部村の人口と比べ、おおよそ似つかわしくない堅牢な番所があった。
隣国との戦に明け暮れる富田尼子は、防衛上の観点からそれまで旅のものであろうが民百姓であろうが、大川に沿って城下に向わせるべく道を拓け、或いは筏で川を下るべく川床の石をどけるなどして利便を図っていたものを一切取りやめ、川奉行をあえて置き行き交う川舟を脅し、山越えの方面に向かわせるよう仕向けた。
敵方とみれば道中切り捨てるべく道の要所要所に密かに兵を配し、また、通行に難儀するような獣道状のものを街道と偽り、徹物は誰であろうと渓谷から更なる渓谷へと追い込んだのである。
その中山峠への登り口を、いま独りの漢が付近の樵にしては不釣り合いな質素極まりないいでたちで登っていく。 関所役人の問いに漢は「下薬研へ郷帰り中の上阿井村の佐吉と申します」と、蓑と菅笠で風体を隠すようにし名乗った。
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