知佳
2024/05/12 (日) 16:40:15
e4a6f@909a7
拐かし (かどわかし) 第二話
目的地に着くや否や辺りを窺がったが、通りに人影はなかった。 天辺に煌々と月が輝いているだけに、建物の陰になった闇は濃い。孫兵衛はおもむろに懐から御高祖頭巾を取り出すと、頭からすっぽりと被った。 鐘の音が止むのを待って山鹿屋の前に立った。
通りに面した二階建てとはいえ山鹿屋は、建物の陰同様真っ暗で、静まり返っていた。 主一家も、むろん住み込みの奉公人もみな、熟睡してるに違いない。
拳を固め、孫兵衛は閉じられていた表戸をドンドンと叩いた。 しばらく間を置き、またドンドンと叩く。 中からは何の返事もないが、執拗に叩き続けた。
ようやく、表戸の内側辺りでかすかながら足音がした。 奉公人の独りが渋々、起き出してきたようだ。 待つことしばらく
「何処のどなた様でございますか。 ご用は、明朝にお願いいたします」
用向きを伺おうともせず断りの言葉を発した。 その声には迷惑は元より、かすかな怯えも感じ取れた。
「ご子息の新次郎殿のことで参った。 危急の用じゃ。 主殿にお目にかかりたい」
恐らく耳をそばだてて、立ち去るのを待っているだろうと知った上でまくしたてた。
「えっ、 若旦那様のことでございますか。 どちら様でしょうか」
要件が分かってなお、戸を開けようとしない。
「主殿にしか申し上げられぬ」
その後、何度身元を尋ねられても、孫兵衛は応えることなく、ただ頑なに山鹿屋の主殿に会いたいと言い張った。
通報 ...