札学心理学

22心理学(3) / 1311

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問題1
ネガティビティ・バイアスとは人が物事に対して行う判断の際にネガティブな情報に引っ張られてしまう傾向のことである。私が身近にネガティビティ・バイアスが存在していると感じる事例を挙げる。私たちがある有名人の異性関係のトラブルや罪を犯してしまったニュースを知ったとする。その後、その有名人がどんな功績を残して素晴らしいことを行っていたとしても、私たちの頭の中にはその人に対するイメージに「この人は悪いことを行ったんだ」というイメージが残ってしまう。この事例は対人的な判断について起こるネガティビティ・バイアスの例を表したものである。例で出てきたある有名人に対するイメージが良いものであったとしても、悪いニュースが起こるとその人の良くないイメージが先行してしまう。このことがネガティビティ・バイアスであるといえる。

学習障害とは発達障害の一つである。学習障害とは学習に必要な能力に偏りがあるために、学習する場面において不適応が起こる障害のことである。学習障害について詳しく述べている書籍によると、「読む・聞く・話す・計算する・推論する能力のうち、1つまたは2つ以上に遅れが目立つ特徴があることをいう。」と書かれていた。例えば、国語の教科書朗読をする場面でうまく読めず朗読ができない場合、その朗読の場面での不適応から学習障害があるとみなされる。この例では「読む」という能力に遅れがある学習障害だといえる。
 ここで注意しておきたいのは、学習障害は知的な能力が全体的に遅れている知的障害とは違うということだ。ある特定の能力についての遅れがあるだけなので、その能力を用いない場面であれば全く問題がないのである。さらには工夫次第では能力の遅れによる不適応を解消することも可能である。工夫して解消できた例が参考にした書籍に載っていたので紹介する。「記憶するのが苦手なRさんは先生に頼まれたことを忘れてしまって困ってしまう。そこで工夫として頼まれたことをメモして覚えておく、事前に頼むことを書いてもらう、声にだしてとなえるなどを行った。そうするとRさんは頼まれたことを覚えることができたです。」このように工夫次第で学習障害を持っている人も普通の人と同じように生活できるのです。
出典 柳下記子(2021)「他の子と違うのはなんでだろう?学習障害のおはなし」平凡社

問題2
オールポート
教科書では、特性論で歴史ある理論としてオールポートの共通特性と個人特性が紹介されている。オールポートは人のパーソナリティについて研究する上で、多くの人に共通にある性格特徴とその人に特徴的にある性格特徴に分けた。それぞれ共通特性、個人特性という。オールポートが特に重視したのは個人の特徴を重視した個人特性である。これにはオールポートの生きていた時代が関係している。それを説明するためにオールポートについて書かれた書籍を参考にする。「オールポートが生きた当時のそれまでの心理学は人間の精神活動・適応の過程から個人性の部分を切り取って、実証的方法によって確かめられた一般的現象や法則のみ扱っていた。オールポートはこの個人が忘れられていることを批判した。」「1930年代のアメリカ合衆国では心理学に新しい発展がはじまっていた。それは個人を総合的、力動的な主体としてとらえようとする理論であった。この新しい動向の発端となったのはオールポート含む三人の著書である。」この文章から当時は人々に共通したものに重きが置かれていたことがわかる。対して個人にしかない、のちにオールポートが名付けた個人特性には注目されていなかった。オールポートは当時の心理学研究において個人に焦点が当たらない現状を批判し、そして心理学の新しい動きである個人のパーソナリティを捉えようとする研究の第一人者であることがわかる。
参考書籍 星野・青木・宮本・青木・野村(1982)「オールポート パーソナリティの心理学」有斐閣新書

ドナ・ウィリアムズ
ドナ・ウィリアムズは自閉症である自身の個人的な経験を辿って描かれた自伝的な著書「自閉症だったわたしへ」を残した。彼女の視点から描かれる描写は自閉症である人の中で起こっていることが捉えられている。ドナ・ウィリアムズの功績が参考にした文献に書かれている。「この著書が出るまでは自閉症とは他人から見ることができる行為をまとめて名付けられたものであった。しかし、自閉症であるウィリアムズの自伝的報告を見ることによって、体験としての自閉症がどのようなものなのか理解することが可能になった。」
参考書籍 ドナ・ウィリアムズ著 川手鷹彦訳(2009)「自閉症という体験」誠信書房

問題3
「適応」(3章)と「知覚的狭窄化」(7章)
7章で出てきた「知覚的狭窄化」の説明を見て、これは人類が進化する過程で「適応」した結果得た能力なのではないかと考える。知覚的狭窄化で行われる精緻化の段階とその能力を持っているか持っていないかで起こる適応度の違いが関係している。まずは精緻化の段階なのだが、教科書によると「初期の段階では決まりきったパターンを処理する段階」であると書かれている。この初期の段階から徐々に応用が利くようになっていくのだが、ここで進化の適応について考える。この初期の段階でとどまっていたものとその次の段階にすすんだものが同時代に存在したとして、どちらが生き残るかと考えた。考えた結果、精緻化の段階が進んだものが生き残ると判断した。具体的な例を出し、説得力を高めていく。知覚的狭窄化の対象が人の顔だとする。人の顔を区別する精緻化が初期の段階だと暗記のようになってしまい、仲間の顔の判断に時間がかかると考える。そうすると敵なのか仲間なのかの判断が難しく、生き残ることが難しいのではないかと考える。一方で、瞬時に人の顔の区別ができる精緻化の段階にいる者は生き残る可能性が高くなる。こうして環境に生き残りやすい知覚的狭窄化ができるものが生き残る適応があったのではないかと考える。

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    「一投稿一問題とします。複数の問題の解答を投稿しても構いませんが、必ず別投稿の形にしてください」となっていました。規定は守ってください。
     問題1 8+10
     問題2 12+8
     問題3 10 点差し上げます。