自分が海外のゲームをプレイする一番の理由は、クールジャパンのせーゆーが関わっていないからです。
キャストや演技を揶揄されることが多い(ように感じられる)ヅブリ映画ですが、例えば只今放映中ののけものプリンセスのおしんおばさんや、後作の賢妹おばさんらをも否定しているのかはわかりかねますが、ただ現在隆盛を誇っている(と思われる)、それありきで語られるような位置付けの方々には、多様性社会の一側面という以上の価値も意義も魅力も感じられないのです。
多様性とかいう面倒な言葉が出てしまいました。
単純に、それはすべてを認めること、と捉えるならば、すべてを認めることを認めないという立場をも認められて然るべきはずですが、実際のところは(何故か)無理のある話です。ではどう折り合いを、つじつまを、ケリをつけるのか、その点に関し、宗教に代表される核となる精神的基盤の無い(に等しい)日本人に対して、ひとつの指針を提示したアニメ作品を知っています。が、そうした意図には触れられることも無く終わるのでした。
多様性を叫ばれている(らしい)現代社会ならば、その作品も違った評価を受けるのでしょうか。
自分はそうは思いません。なぜなら、(以下略)
通報 ...