このような質問者の問いに対し日蓮大聖人は次のように答えられます。
http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1998742.html
答えていう、今述べたところの難問は最も甚だしい非難である。これに答うるにまず教論の難を説明しよう。ただし爾前の諸経と法華経との相違は経文に説き示された事実によって明らかである。爾前は未顕真実で法華は正直捨方便・但説無上道、法華には多宝如来・十方分身諸仏の証明と梵天にまでとどく舌相の証明があるのに、爾前の諸経にはこのような証明がない。阿弥陀仏の舌相も問題にならない。爾前では二乗が永久に不成仏であるが法華では一切皆が仏道を成ずる。爾前の諸経は釈尊がこの世で修行し成道したと説く始成正覚、法華は久遠実成を説き顕わしている。このように比較してみると、爾前は劣小の教であり、法華経こそ最勝真実の教であることが経文によって明らかではないか。
次に諸論師が非難している点について説明しよう。天台大師いわく「天親や竜樹は一念三千の法門を心の中では知っていた。しかし外に対しては正法時代に適した法門を立て、権大乗教を弘めてそれぞれ権に拠る所があった。しかるにその後の人師は偏見に執着し、仏教学者も我見を立てて、ついに論争に論争を重ね衆生済度を忘れて闘争し合い、各宗各派は仏教のわずか一辺を保って我見を立て大いに釈尊の真意に背反してしまった」と。章安大師いわく「仏教の発祥地たるインドの大論師さえなお天台大師とは比較にならない。中国の仏教学者など、どうして一々に論ずる必要があろうか。これは誇って自慢して言っているのではない。天台の説く法門自体がこのように勝れているのである」と。天親・竜樹・馬鳴・堅慧等の諸菩薩は、内心で一念三千を知っていたが、未だ正法時代で法華経流布の時でなかったからこれを弘通しなかったのである。その他、正法時代の人師および像法時代の人師たちは、天台以前の人々はあるいは一念三千の宝珠を内心に含み、あるいは一向にこれを知らなかった。天台以後の人師たちはあるいは初めに一念三千の法門を破りながら後に帰伏した者もあり、あるいは一向にこれを用いない者もあった。