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法介の『徒然なるままに』 New トピック !! / 79

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法介 2023/12/29 (金) 09:28:02

(現代語訳で紹介します)

http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/cat_52523.html

爾前迹門における仏としての果位をもってこれを論ずれば、教主釈尊は、過去世における因行によってインドに出現し三十歳で成道した仏である。しかして成道の時より華厳・阿含・方等・般若と説き進め、四十余年の間、蔵・通・別・円の四教を説くごとにそれぞれ四種の仏身を示現し、爾前経・法華迹門・涅槃経等を演説して、一切衆生を利益し給うたのである。

いわゆる華厳経を説法の時は、十方に化作した諸仏の中央蓮華台上に、盧舎那仏と現われ、阿含経の時には、三十四の智慧心をもって見思の惑を断じ尽くして成仏の姿を示し、方等の時には、来集した諸仏の中において説法し、般若の時には千仏とともに現じて説法し、大日経・金剛頂経の時には胎蔵界の七百余尊・金剛界の五百余尊の威儀を現じ、法華経迹門では、宝塔品第十一の時、三変土田して、凡聖同居土・方便有余土・実報無障礙土・常寂光土の四土の仏身を示現し、涅槃経の時には、一会の大衆があるいは丈六の仏と見、あるいは小身・大身と現われ、あるいは盧舎那報身の仏と見、あるいはその身が虚空と等しい法身仏と見た。

すなわちこのように四種の身を現じたのである。乃至御年八十歳でご入滅あそばされた後までも、正法・像法・末法の三時にわたって一切衆生を利益し給うたのである。このような仏が凡夫の己身に住するとは考えられない。(質問者の考え)

また法華経本門の内容からこれを疑うならば、教主釈尊は久遠五百塵点劫已前に成仏し、因位もまた五百塵点復倍上数の長遠である。それより已来娑婆世界はいうまでもなく、十方世界に分身の諸仏を遣わし、一代聖教を演説して、大地微塵のごとき無数の衆生を教化してきた。

本門における所化の衆生を、迹門の所化に比べるならば、一渧と大海の水を比べるごとく、一塵と大山のごとき相違がある。本門の一菩薩(地涌の菩薩のこと)を迹門の十方世界から来集した文殊・観音等の菩薩に相対するならば、猿と帝釈天を比較するよりさらに大きな相違がある。このように無量無辺の大菩薩たちを教化してきた大徳の釈迦仏がわれらの己心に住するとは、なおいっそう信じ難いことである。

そのほかにまた十方世界にいて、惑を断じ果を証した二乗や、梵天・帝釈・日月・四天・四輪王等の天界や、また無間大城の大火炎等々、これらはみなわが一念の十界であるのか。わが己身の三千世間であるというのか。たとえ仏の説であるからといってもこれを信ずることはできないではないか。

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