仏教のお話

問答 輪廻について / 34

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ダルマ太郎 2024/04/26 (金) 22:12:42

ダルマ太郎さん

2024/4/25 1:12

> 非有か非無かは我々の認識とは無関係です。

非有だと認識するから非有という説があるし、非無だと認識するから非無という説があるのではないでしょうか? 何も認識せずに、そういう説だけが有るというのはおかしいですね。

> ですので、概念としてあるから非無だとはいえませんし、ダルマ太郎さんがウイルスを認識できなくてもそれがあるように、輪廻もあります。

概念として有れば非無です。これは、外の世界のことを言っているのではなく、脳内のことです。私たちは、外の世界の事実を知ることはできません。眼や耳で感受し、想起しているのですから、その時点で事実とは異なります。鏡の中の像と同じです。

> またどこかの仏教学者の本で読んだのかもしれませんが、形而上というのは西洋哲学の概念ですから、ブッダがそれにとらわれるはずがありません。

仏教学者の説は信用できないと思っているのですか? 知恵袋には、仏教学者を嫌っている人がいますが、Sさんも、その一人なのですか? 何だか、仏教学者よりも自分の方が知識が上だとでもいいたそうですね。学者は、人々に分かりやすいように形而上学的という言葉を使っています。仏教では、それを何と言うのか私は分かりません。

> ブッダは輪廻について、神通について、神々について多くを説いていますし、それは大乗の経典にも受け継がれています。

大乗にも輪廻・神通・神々は登場します。しかし、それらは、方便であり、事実として存在しているわけではありません。輪廻が方便であるということは、Sさんにとって何か都合が悪いのですか?

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