仏教のお話

問答 輪廻について / 30

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ダルマ太郎 2024/04/26 (金) 22:01:40

Sさん

質問者2024/4/24 21:57

ダルマ太郎さんの仏教理解は認識論に偏りすぎなのです。仏教というより言語哲学のようなことを書いているだけに感じます。

>リンゴにはリンゴとしての実体は有りませんが、リンゴという名はあり、植物・果実・食べ物という概念は有ります。よって、名称と概念によって、それが何なのかを判断します。

リンゴという名称や概念がなくても、リンゴと呼ばれるものは存在しています。言葉を知らない赤子にすりおろしたリンゴを与えれば彼はそれを食べることできます。そしてそれを感受し好き嫌いを感じ分けます。縁起による現象としてリンゴが確かに存在しているからです。これが非無ということであり、別の言葉で言えば衆因縁生法、縁起所生、仮設、世俗有です。

>私たちが、存在するとみるのは、認識に依ります。たとえ感受しても、認識しなければ、それは存在しません。

主観という意味ではそうですが、世界は人間の認識中心で出来ているわけではありませんよね。たとえばダルマ太郎さんはウイルスを認識することはできません。しかし、ダルマ太郎さんの免疫機能はそれを感受し、反応します。免疫がウイルスに負ければ病に陥り、下手をすれば命を落とします。

このように世界の中で私たちが認識できる範囲はとても狭く小さいですが、認識しなければ存在しないなどというのは全くの嘘です。私たちは認識できないもののせいで生かされたり死んだりしているのです。

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