仏教のお話

問答 輪廻について / 28

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ダルマ太郎 2024/04/26 (金) 21:55:51

ダルマ太郎さん

2024/4/24 21:00

> 「実体は無くても、名前として、概念としては有ります。」と言ったら、何もないのに言葉だけがあるような意味になりますが、そうではないでしょう?

実体が無い、というのは空のことです。リンゴにはリンゴとしての実体は有りませんが、リンゴという名はあり、植物・果実・食べ物という概念は有ります。よって、名称と概念によって、それが何なのかを判断します。実体が無いというのは、何もないという意味ではありません。空と無を混同しています。

仏教でいう世界というのは、外界の事実ではなく、脳内に仮設された世界のことです。私たちが、存在するとみるのは、認識に依ります。たとえ感受しても、認識しなければ、それは存在しません。五感は、世界のありのままを感受しているわけではなく、眼や耳で受けた内容を信号に変えて、脳に送り、脳内で仮設しています。その仮設された世界を私たちは事実として認識しています。

摩訶般若波羅蜜経の中で、空は、「諸法如幻。如焔。如水中月。如虚空。如響。如揵闥婆城。如夢。如影。如鏡中像。如化」というように喩えられています。最初に、「諸法如幻」とありますので、私もこの表現を使いましたが、分かりやすいのは、「如鏡中像」でしょうね。鏡に映る像は、実物ではありません。実物ではないので実体は有りません。仮の存在です。それは、外界と脳内で仮設された世界の関係に似ています。

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