仏教のお話

仏教随感 / 10

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ダルマ太郎 2024/05/13 (月) 11:00:37

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輪廻の否定
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太郎論:仏教徒は、輪廻が有ると信じるのが正常であり、輪廻を否定するのは異常だととらえる人が割と多くいるようです。輪廻を否定する人をバカだという人もいます。困ったものです。そういう人は、初期仏教の経典だけを学び、大乗経典を学んでいないのでしょう。

高校生くらいの頃は、私も輪廻を信じていました。手塚治虫先生の『火の鳥』の影響です。大人になって、色々と仏教を学んでいく内に、輪廻というのは方便であり、事実としての輪廻は否定されていることが分かりました。特に大乗仏教の経典では、「不生死」「無生死」「非生死」という言葉がよく出てきます。生死とは輪廻のことです。漢訳経典では、輪廻という言葉はあまり使われず、生死という言葉が使われます。不・無・非は、いずれも否定を意味しますので、「不生死」「無生死」「非生死」は、どれも輪廻の否定のことです。また、無生無死・無生法忍という言葉もよく出てきます。これらも輪廻を否定する言葉です。

初期仏教経典では、これらの言葉は使われておらず、大乗仏教の経典でよく使われています。よって、初期経典を読む人は輪廻を信じ、大乗経典を読む人は信じていないというように、意見が対立する結果になっています。

輪廻を否定するといっても、無見・断見ではありません。輪廻が有るという断定、輪廻が無いという断定を否定します。輪廻は概念としては有り、実体はありませんから、非有非無の中道です。輪廻は有るという人は、常見ではないでしょうか? 輪廻は経典に書いてあるから事実として有る、というのなら、輪廻を実体視していますから常見です。
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