仏教のお話

Rの会:無量義経 / 32

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ダルマ太郎 2024/03/27 (水) 09:43:10 修正

第一の功徳 浄心不思議力

仏の言わく。善男子、第一に、是の経は能く菩薩の未だ発心せざる者をして菩提心を発さしめ、慈仁なき者には慈心を起さしめ、殺戮を好む者には大悲の心を起さしめ、嫉妬を生ずる者には随喜の心を起さしめ、愛著ある者には能捨の心を起さしめ、諸の慳貪の者には布施の心を起さしめ、憍慢多き者には持戒の心を起さしめ、瞋恚盛んなる者には忍辱の心を起さしめ、懈怠を生ずる者には精進の心を起さしめ、諸の散乱の者には禅定の心を起さしめ、愚痴多き者には智慧の心を起さしめ、未だ彼を度すること能わざる者には彼を度する心を起さしめ、十悪を行ずる者には十善の心を起さしめ、有為を楽う者には無為の心を志さしめ、退心ある者には不退の心を作さしめ、有漏を為す者には無漏の心を起さしめ、煩悩多き者には除滅の心を起さしむ。善男子、是れを是の経の第一の功徳不思議の力と名く。

【第一の功徳 】『四無量心』と『六波羅蜜』を修し、自他一体となっていく・・・

世尊はお答えになりました。「もしある人がこの『無量義』の教えを聞いて、一行でも一句でも理解したならば、次のような功徳を得ることができます。まず『第一の功徳』とは、だれもが仏を目指すという『発菩提心』を起こします。そしてあらゆる人と自他一体になることができ、『四無量心(慈悲喜捨)』の徳目を具え、大慈悲心を起こすことができます。そしてそればかりか、人を妬(ねた)む心や物事にとらわれる愛着の心を無くし、さらには何よりも『六波羅蜜』の徳行を修めることができます。さらには、自分だけではなく他の人々と共に救われなければ、『本当の幸せはない』ということが判り、ひとりでに他を救おうという心が自然と涌き起こります。殺生・妄語・邪淫などの悪行は全て無くなり、現象の変化に惑わされず、仏道精進が後戻りすることが無くなり、煩悩を無くそうという心が、これもまた自然と起きるようになります」

○未発心者→発菩提心
○無慈仁者→起於慈心
○好殺戮者→起大悲心
○生嫉妬者→起隨喜心
○有愛著者→起能捨心
○諸慳貪者→起布施心
○多驕慢者→起持戒心
○瞋恚盛者→起忍辱心
○生懈怠者→起精進心
○諸散乱者→起禅定心
○於愚癡者→起智慧心
○未能度彼者→起度彼心
○行十悪者→起十善心
○楽有為者→志無為心
○有退心者→作不退心
○為有漏者→起無漏心
○多煩悩者→起除滅心

慈心

自他一体になると、他者の幸せを願わずにはおれない。

慈とは、マイトリー maitrī の中国語訳です。ミトラ mitra が語源で、もともとの意味は、「友情」です。真の友情があれば、相手の喜びを自分のことのように喜び、相手の幸せを自分の幸せのように願うことでしょう。しかし、そのような友情は親友のような深い関係でなければなかなか育ちません。一生を通じて親友と言えるのは少ないと思います。仏教では、出会う人を友人だと思って接し、相手が必要とすることを必要なだけ施します。そのためには、自他一体という無分別の境地に入ることが大事です。

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