仏教のお話

Rの会:無量義経 / 27

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ダルマ太郎 2024/03/26 (火) 21:25:43 修正

月をさす指

是の故に善男子、我道を得て初めて起って法を説きしより、今日、大乗無量義経を演説するに至るまで、未だ曾て苦・空・無常・無我・非真・非仮・非大・非小・本来生ぜず今亦滅せず、一相・無相・法相・法性・不来・不去なり、而も諸の衆生四相に遷さるると説かざるにあらず。

私はこれまで変わることなく【苦・空・無常・無我】を説き、この世は生ずることも滅することはなく、 【一相・いっそう】といって真理の根本は『ただ一つ』であり、【無相・むそう】という『差別のない相(すがた)』で、『現象に現われる相(すがた)・性質』、つまり【法相・ほっそう/法性・ほっしょう】は、「来る」ことも「去る」こともない『すべては一つ』であると説いてきました。そして目の前の物事・現象を、【生・住・異・滅】という『変化』に心を惑わせ、迷ってはならないと説いてきました。

このことから善男子よ。私は道を得て初めて法を説いた時より、今日、大乗無量義経を説くに至るまで、未だ曾て、苦・空・無常・無我・非真・非仮・非大・非小・本来生ぜず今亦滅せず、一相・無相・法相・法性・不来・不去、しかも諸々の衆生四相に変化すると説かなかったことはありませんでした。

~苦・空・無常・無我・非真・非仮・非大・非小などの言葉は、俗世においては真理だと思われています。しかし、それらは俗諦であって、最高の真理ではありません。俗諦とは、俗世の言葉によって表された真理のことです。言葉の制約があるために、最高の真理については言い表すことはできません。最高の真理とは、真諦のことであり、法華経では、妙法といわれています。俗諦は、方便であり、真諦へと導くために説かれました。釈尊は、真理そのものは説いて来なかったけれど、真理を覚れるように重要なヒントを示されてこられたのです。これらの言葉は「月をさす指」だと知る必要があります。賢者は指がさす方を見て月を知りますが、愚者は指に執着して月を見ようとはしません。

~ところで、Rの会では、「ただ一つ」「すべては一つ」だということを強調されています。「一相といって真理の根本は『ただ一つ』であり」と説明していますが、何が一つなのかがよく分かりません。真理の根本とは何なのでしょう? 真理自体が分からないのに、真理の根本が分かるのでしょうか? しかも、それが「ただ一つ」だとする根拠は何でしょうか? 一相とは、「差別や対立のない絶対的な平等」のことです。絶対的な平等なので、「ただ一つ」だと言っているのかも知れませんが、どうも納得がいきません。もう少し説明が必要だと思います。何が一つなのか? なぜ一つなのか? どのように一つなのか?

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