仏教のお話

03-2-2-2 妙法蓮華経方便品第二 / 6

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ダルマ太郎 2023/09/09 (土) 19:47:20

略開三顕一の解釈-4

止みなん、舎利弗、復説くべからず。所以は何ん、仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯仏と仏と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり。

「止めましょう。舎利弗。このことは説かないほうがいいでしょう。なぜなら、仏の成就したことは、第一であり、稀有であり、難解だからです。ただ仏と仏だけがよく諸法の実相を見極めているのです。諸法の実相とは、諸法の相の真実、性の真実、体の真実、力の真実、作の真実、因の真実、縁の真実、果の真実、報の真実、相から報までが等しいという真実のことをいうのです。」

仏が成就した智慧は非常に難解なので説くことをためらわれました。智慧の対象である真理は、ただ仏と仏のみが見極めているのです。常人には分からないことだからでしょう。その真理のことを鳩摩羅什は諸法実相と名付けました。しかし、諸法実相に当たる言葉はサンスクリット原典にはありませんので、鳩摩羅什の超訳でしょう。

諸法の実相とは、如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等のことだといいます。このことを「十如是」といい、天台・日蓮では重要視しました。十如是については、次回より説明します。

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    ダルマ太郎 2023/09/12 (火) 15:58:55 修正 >> 6

    十如是-1

    相性体力作因縁果報について

    1.相(そう)…ラクシャナー lakṣaṇa

    相とは、ラクシャナー lakṣaṇa の訳です。特徴・特質・名称の意味です。外形・姿かたちという意味もあります。それを他と区別する時、そのものと他との違いを観ます。他との違いを特徴といい、特徴があれば他と分けられます。他との区別ができたものには、名称をつけていますから、相とは名称のことだという見方もあります。赤い花、大きな犬、美しい宝石などのように、それらは言葉によって表されます。

    真理としての相(如是相)は、無相です。他と比べなければ特徴はありませんから、それ自体に何らかの特徴はありません。そのものの相の有無は否定されます。

    2.性(しょう)…スヴァバーヴァ svabhāva

    性というのは、スヴァバーヴァ svabhāva の訳です。自性・本性・本来のありかたという意味です。赤い花なら、赤を赤とする性、花を花とする性があり、全体として赤い花としての性があります。インド人は、表面的な相とそれを成り立たせる性の二方向から観察しました。相があるところには、性がありますので、相性は一体です。

    真理としての性(如是性)は、無自性です。そのものが無相ならば、そのものは空です。実体は欠如していますので、自性もありません。また、そのもの以外によって特徴があるように、そのものを成り立たせるのは他です。つまり、因縁に依って仮に有りますから自性の有無は否定されます。

    3.体(たい)…ダーツ dhātu

    体とは、ダーツ dhātu の訳です。「花が香る」という場合、香りの主は花です。このような何らかのはたらきを持つ主のことを体といいます。体は、相によって認識され、相は性と一体ですから、相性を持つ主体のことでもあります。相性体を総じて体ともいいます。

    真理としての体(如是体)は、無体です。無相であり、無自性であるならば、その主体の有無も否定されます。

    4.力(りき)…バラ bala

    力とは、バラ bala の訳です。内に秘めた力、力用、潜在能力のことです。花が香るのは、その花に香りを出す力があるからです。

    真理としての力(如是力)は、無力です。力の有無は否定されます。

    5.作(さ)…カーラカ kāraka

    作とは、カーラカ "kāraka" の訳です。作用・はたらき・力の発動のことです。花が香る時、香るということが作です。ものごとは、体と用(ゆう)によって観察されます。「花が香る」「水が流れる」「風が吹く」というように、主語と述語、名詞と動詞によって言葉にされます。私たちが、そのものを認識するのは、体用に依ります。そのものが何らかの働きをしなければ、主体を観ることはありません。見せる・聞かせる・嗅がせる・味あわせる・触れさせるなどの働きを発っしています。

    真理としての作(如是作)は、無作です。作の有無は否定されます。

    6.因(いん)…ヘーツ hetu

    因とは、ヘーツ hetu の訳です。原因・理由・動機のことです。花が香る時、その主体は花ですから、因とは花のことです。花が香ることが結果です。花は香りという力を発動して、風や温度などの環境を縁とし、さらに香りをかぐ縁を得て、はじめて花が香ります。

    真理としての因(如是因)は、無因です。因の有無は否定されます。

    7. 縁(えん)…プラトヤヤ pratyaya

    縁とは、プラトヤヤ pratyaya の訳です。プラトヤヤも原因という意味なのですが、仏教では、結果に至る原因は一つではなく多数であると観ますので、主原因を因といい、主原因を助ける原因を縁といいます。合わせて因縁です。よって、因は一つですが、縁は多数あります。深く観察すれば、縁は因以外のすべてのことです。

    花が香るということは、香りをかいでいる者がいるということです。その者にとっては、花は縁です。このように、そのものを因としても、縁としても観ることができます。

    真理としての縁(如是縁)は、無縁です。縁の有無は否定されます。

    8.果(か)…パラ phala

    果とは、パラ phala の訳です。結果という意味です。今、この瞬間を切り取れば、すべての物事は、因としても、縁としても、果としても観ることができます。

    真理としての果(如是果)は、無果です。果の有無は否定されます。

    9.報(ほう)…ヴィパーカ vipāka

    報とは、ヴィパーカ vipāka の訳です。通常、果報といいます。結果とは、花が咲く、花が香るというような状態のことですが、果報とは境界のことをいいます。境界とは、苦楽、もっと分ければ、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上という境界です。花が咲いているということは、きちんと育った成果でしょうから、楽の境地、天上界にあるといえます。もし、成長の段階で枯れている草があれば、それは苦の境地、地獄界にあるといえるかも知れません。

    よく報を時間経過として観る方がいますが、この十如是は、瞬間的にそのものを十の視点で観察しているのですから、時間という概念は必要ありません。相性体力作因縁果報等は、時空の一点についての観察です。もちろん、他との関わりはありますが、観る対象は一つです。

    真理としての果報(如是報)は、無果報です。果報の有無は否定されます。

    10.本末究竟等(ほんまつくきょうとう) …サマ sama

    等というのは、等しい、平等のことでしょうから、サマ sama の訳だと思います。相性体力作因縁果報は、それぞれに違って見えるけれど、究めれば平等だということでしょう。すべては空ですから、仮に相性体力作因縁果報と分けて観察しても、究めれば平等だということです。

    真理としての本末究竟等(如是本末究竟等)は、空です。